空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

富岡製糸場についてのニュースから

世界遺産に指定されてから何かと脚光をあびている富岡製糸場だが、一工場が文化財になるまでには長い間の維持と保全にたゆまぬ努力が必要だった。
昭和16年に国から買い取り、維持保全していたのは、片倉工業という一企業だった。当時の経営陣は、歴史的な価値を重視し、経営が苦しい時も決して手放そうとしなかったという。
「売らない、貸さない、壊さない」の合言葉のもと、自力で維持保全しつづけた。
当時の社長はインタビューでこう言っている。「国に迷惑をかけることなしに自分達で管理しつづけたい。」
公共サービスに寄りかかり、それを当然視する現代からは想像もできないような言葉ではないか。たかだか2~30年前のことである。地域の厄介事は、役所にやってもらって当たり前。犬のフンも若者のイタズラも、とりあえず役所に電話して苦情を言うという負の文化を、いつの間にか我々は育ててしまった。

市民が市民として公に奉仕するという思想は、古代ローマの発展期に国を支えた。税金だけでは賄いきれない街道や公共浴場の整備、維持。それらの大きな部分が、富裕な貴族の私的な出資金によって成されていった。有名なアッピア街道は、アッピウスという貴族によって建設されたのである。
それらは貴族の名誉となり、市民の利益になる。国という顔のない組織が行ったのではなく、ちょっとリッチなお隣さんが作ってくれたものだと思えば、当然という意識はなく、ありがたく使わせてもらうという気持ちになるだろう。各人が己の能力に応じた出資を社会に対して行うようになれば、複雑な税制は必要ない。
税が安く、国家は簡素で、多くの仕事を市民自ら行ったため、コストが抑えられ、さらに税が安くてすむ。そういう好循環が、興隆期のローマを支えていた。

ケネディの演説にもある。「国が何をしてくれるかではなく、自分達が国のために何を為すべきかを問え」と。60年代初頭のアメリカは、異論の余地なき超大国であり、世界を牽引する若く力に溢れた巨人だった。

理想主義をふりかざすつもりはないが、社会保障費が年間一兆円ずつ増大し、公共投資にますます費用がかさむようになってきて、さらに国に多くを望むようになれば、それは必ず税という形で跳ね返ってくる。
健康な社会には、自立し国に頼らない市民精神が息づいている。自分でできることは自分でやる。さらに、国やコミュニティのために何が出来るかを考える。そんな精神を、富岡製糸場を支え続けた企業が教えてくれる。