空論オンザデスク

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交通事故を見た

交通事故を見た。

その夜、家に向かって歩いていたら、角を曲がった右手前方の横断歩道で車と歩行者が接触した。

直前にブレーキを踏み込む鋭い音。

周囲は暗く雨が降っており、ヘッドライトの光は相当に拡散していただろう。

加えてブレーキの効果も濡れた路面で半減していただろう。

被害者はスーツ姿のサラリーマン風の男性で、ダークスーツの色も見えにくい要素の一つだった。

ただ衝撃は相当軽微だったらしく、インパクトの音はくぐもるよう。男性はややよろめいただけ。倒れることもなかった。

車を停めて中から運転手が出てくる。心配そうに何か声をかけ、戸惑い気味に頭を下げる。被害者も車のヘッドライトのあたりを撫で、その後こちらも頭をさげている。

相当人の良い被害者のようで、ぶつかってきた車のほうを逆に心配して謝っている。

その後、双方はもう一度謝罪しあい、ドライバーは車に乗ってその場を走り去っていく。男性はちょっと人にぶつかっただけのようにまた歩き出して去っていく。

 

事故の双方が、人のよい礼儀をわきまえた人物だったようだ。

さもなければ、警察沙汰か悪くて暴力にまで発展していただろう。

とはいえ、どんなに軽微な事故でも、事故は事故として警察を呼ぶべきというのは自動車学校で習ったこと。

事故の存在を記録しておかないと、後遺症などが出たときに何もできないからだ。

しかしそんな常識にもかかわらず、一礼しあう二人の姿にはさわやかな美しさがあった。

交通強者と弱者、加害者と被害者、そういう立場の違いを乗り越え、人間として互いに迷惑をかけあったことを気恥ずかしく思い、そんな気分のうちに頭を下げるという行為が、日本人の性質を表していた。

もし自分が当事者だったら、と思う。

ちょっとよろめいただけのことで、ケーサツを呼び、青ざめる加害者を行政罰刑事罰、はたまた社会的なさまざまのペナルティーに突き落とすことを良しとするだろうか。

ドライバーの車は営業用自動車らしかったし、そうすれば職場での不利益も避けられまい。

被害者は強く、加害者は弱い。一度公の場に出てしまえば、一言で彼を社会的に抹殺することすらできる。

「強者としての被害者」になったときこそ、想像力を働かせることができるだろうか。左のほほを打たれ、右のほほを差し出すことは聖者ならぬ身にはできぬことだが、せめて関わる人の行く末には関心を払いたいものだ。