空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

和辻哲郎 古寺巡礼

古寺巡礼 和辻哲郎

古寺巡礼

古寺巡礼

この作品がどういう経緯で書かれたものか分からない。作者がどのような立場の人で、なぜ大和に永らくとどまって、このような仏像遍歴を重ねられたのか、その背景を知ればあるいはもっとこの作品に愛着を持てたかもしれない。
美術史学的な、哲学的な考察をもって、それこそこの地の寺という寺、美術という美術をなめつくし、味わいつくした感じである。
だからこそ、一冊の本がこのように世に残っているのかもしれないが、たとえば自分が現代的なスケジュール過密の小旅行で見たものとは全くちがう印象がそこに綴られているのを読むにつけ、この人の生きた時代の感覚とこの人特有の感性に憧憬を感じずにはいられない。
たとえば、作者が友人の誘いのままに夜の東大寺を訪ねた一節がある。

「その青と金との、互いに融け去ってもいきそうな淡い諧調は、月の光が作り出したものである。」

我々は東大寺を訊ねても、あふれんばかりの観光客は目にすることができるが、月の光が溢れる中で佇む屋根は見ることができない。
喚声とざわめきに疲労を感じても、ただしんと静まり返った境内にひびく月光のささやきには耳をすますことはできないのだ。

寺で仏像を拝むという行為が、ただの観光になってしまった今の時代には望むべくもない贅沢である。そこにはなんの心の交歓もなければ、宗教的な歓喜も存在しない。ただ、その大きさになんとなく日常とちがったものを感じるだけである。それが、仏教的救済を心から信じなくなった現代の合理精神というものの一作用なのだ。まるで、なんと例えたらいいだろう、価値あるものの価値がどんなに見てもわからない、あるいは目隠しをされているかのような感じだろうか。
この本を閉じたとき、寂しさと羨ましさだけが残った。