オフィーリアに惹かれる
オフィーリア。シェイクスピアの傑作「ハムレット」の登場人物。もともと王子ハムレットの婚約者だったが、身内のすったもんだの挙げ句、父王と王位継承権を失い失意の人となる。
オフィーリアは翻弄され全てを奪われ、狂気に囚われて泉に身を投げる。
夢見る乙女から悲劇の美女へ。そして狂気と死にからめとられる犠牲者となる。すべてが受動的で、救いも教訓もないヒロインに、どうしてここまで惹かれずにはいられないのだろう。
水に浮かぶ美女というシチュエーションに萌えているだけなのかも。そうだとしたら、今後水辺に近づかないほうがいい。何か良からぬニュースのネタになりたくなければ。
ミレイやルドンが、こぞってオフィーリアの傑作を描き、それらがこの世ならぬ美しさだからだろうか。それなら、画家たちをしてあの美に到達せしめたもの、インスピレーションの源泉になったものはなんだろう。生きることに絶望し、まさにその幕を引こうというとき、その瞬間には何があるのか。恐怖だろうか、それとも解放だろうか。
「草枕」で、那美は池に身を投げることを仄めかした。彼女の人生もまた翻弄の連続だったのかもしれない。ままならず縛られつづけ、全てからの解放を願ったとしても不思議ではない。けれども、その死の情景が人の心に妖しい美を投げ込むのはどうした訳だろう。
水にたゆたう体。髪や衣服があやしく揺らめき、静かな水面に時折小さな生き物が跳ねる。そこにぽとりぽとりと赤い椿の花が落ち、色彩を添える。何がなんだかわからないのに、その景色が頭から離れない。