空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

インターステラ―、その刺激

インターステラー

最近見た唯一の映画ということもあるけれど、この映画の印象の残りかたは半端ではない。
見てから一ヶ月経つのにストーリーの詳細を思い出すことができ、一つ一つのシーンを取り出して反芻することすらできる。
それは、この映画自体が大きな問題提起になっているからに他ならない。しかもその問いかけ自体が、見る人によって異なるだろう。ある人は冒険の動機と勇気を投げ掛けられ、ある人は危機に際して人がどうふるまうかを問いかけられる。ある人は家族の愛と絆を守るにはどうしたらいいかを考えさせられる。
SFという分野が持つ可能性、さらにSFを越えた人間の想像力と物語の訴求力そのものの力を見せつけられた。

ここから先はネタバレを含みます。


・多くの人間は危機を見ても見ないふりをする

地球全土の生産力が徐々に低下している世界で、人々は日々の糧を得るのに精一杯である。未知の領域に挑戦する試みはなりをひそめ、農業だけが振興され、若者のほとんどは農家になることを期待されている。
「今は苦しいが、いつかそれも良くなる。我々は繋ぎの世代だ。我々は細々とやっていかねばならないが、次かまたはその次の世代のころにはきっと豊かさを取り戻せる。だから今を耐えよう。」そんな見解が一般的になっている。
けれどもそれは根拠のない見透しであり、どこにも食糧生産が回復する根拠などない。
危機に直面して、それを直視できるのは少数の勇気あるものだけである。大多数は不吉な予言に耳をふさぎ、自分達が安心できる都合のよい解釈にしがみつく。そして、警鐘を鳴らす者を排除しようとするのだ。NASAは人里離れた山奥で秘密の施設を建設し、地球を脱出する計画をまったく極秘で行っている。それは、乏しい資源を現在の食糧生産ではなく、成功するかしないか分からない宇宙事業などに投資することを世論がゆるさないからだ。宇宙は全ての未知の行き着くところであり、深遠に新たな天地を求めるなどというとほうもないロングショットに賭けるなどは、安定を求める一般人には理解できない話なのだ。


・社会は、歴史をその時の自分達の状況にあわせて解釈する

アポロの月面着陸は、ソ連に対抗するための欺瞞であり、国家の面子を保つための愚行だったとして教育されている。主人公のクーパーはもと宇宙飛行士だ。当然そんな教科書は破り捨てたいくらい怒りにかられたはず。
挑戦よりも安定を、革新よりも保守を求める時代では、そうでなかった世代の進取の気性など理解できない。先行投資は無謀なギャンブルでしかない。そう書いていくと今の日本に重なるものがないだろうか。行き先は停滞と緩慢な死でしかないというのに。

・選ばれた人間だけが危機を直視し、冒険を行うことができる

歴史を作るのは、新しい世界をもたらすのは常に少数の選ばれた者だけであり、彼らは現実を現実として見ることができるという稀有の資質をもっている。クーパーがブランド教授の誘いに即答できなかった苦悩はそこにある。
彼は今の地球がゆっくりと死につつあるということを認めることができてしまう。ゆえに自分が行かなければ子供たちがいずれ破滅に巻き込まれることを直視し、その判断から逃れられない。けれども、もし旅立ってしまえば、子供たちには、マーフには一生会えない。今の子供たちを守るか、将来の生きる道を残す可能性に賭けるか。結局彼は後者をとるわけなのだが、そこには子供たちのためということの他に、単純に宇宙にでたいという本能があったのではないか。彼は本質として冒険者であり、耐えながら守っていくという姿勢が不可能だっただけだとも言えてしまう。

・苦渋の決断は時として終わりなき罪悪感を産み、その重荷によって人の目は曇っていく

ブランド教授の提示した人類存続計画はAとBがあり、プランAは地球上の人類を何らかの方法で宇宙に退避させ、そこから新天地に運ぶというもの。一方プランBは、冷凍保存した受精卵を人工的に誕生させ、新たな惑星において育成するというものである。当然、Aのほうが成功の可能性が少ない。宇宙に引き上げなければならない重量がまったくちがうからだ。
プランAの実行のためには、二つの条件がある。まず移住先の可住惑星を見つけること。しかしこれはプランBでも共通の条件であると共に、必ずしも地球が死に絶えるまでに成し遂げなくてはならないものではない。いったん宇宙のどこかに暫定的なコロニーを作り、そこで新天地を待つこともできるからだ。
二つ目は重力制御の技術を完成させること。従来の方法では多くの人間を地球の重力から脱出させることはできない。それだけのエネルギーは膨大なものになってしまう。そこで、全く新しい推進方法でなくてはならず、それは重力制御に他ならない。しかし、その理論はまだ完成しておらず、そのためにブランド教授は人生の大半を費やしているがいまだその目処はたっていない。
教授はクーパーと娘アメリアのチームに一つめの成功を託し、かならずそれまでに二つ目を成功させると約束した。自分の子供たちを救いたいクーパーにとって、プランBでは意味がないからだ。
しかし教授はまた、重大な嘘をついていた。
重力制御の完成はそもそも不可能だった。
重力の謎を解き明かすには、重力の究極的な形態であるブラックホール内の、事象の地平線を観測してそのデータを得なければならない。しかし、ブラックホール自体が脱出不可能な物理現象だから、たとえそこに入れたとしてもデータを持ち帰ることは不可能。よって人類を地球から脱出させることも不可能なのだった。

ブランド教授は、この裏切りをなし、嘘を貫き通す決意を固めたとき、その強固な使命感と意志によって自分の罪悪感を押し込めようとした。初めからプランBでは人々の支持が得られず、したがって人類を滅亡から救うことができないからだ。現存人類の存続ではなく、種としての人類を救うのだという大義に奉じるため、誰にも知られないように(マン博士は知っていた)自分を断罪しつづけた。
しかしその罪の意識こそが教授の精神を蝕み、逃れられない煉獄に捕らえつづけ、それが彼をして仕事を成し遂げられぬままこの世を去る運命にならしめたのではないか。
この仕事は結局、クーパーの娘マーフに受け継がれ、父と娘の時空を越えた連携プレーによって解決を見る。マーフこそが新時代の救世主だった。過去のしがらみに捕らえられた旧世代ではなく。それは、あらゆるものに縛られず目的に向かって一筋に突き進める力があるからだった。因習や旧弊を振り払うべく奔走し、疲れはてた老人に代わって、清新な若者があとを継ぐ。彼らは前代が挫折した壁を力強く乗り越えていく。しかし、なぜそれが可能なのか。古い世代の積み重ねた努力があったからだ。
ブランド教授はいまわの際に、すべてをマーフに打ち明けた。マーフは怒り、その結果として壁を乗り越えた。新世代への受け継がれ方としてそれはある意味で理想的ともいえる。

最後に、ブランド教授が作中で詠む詩を取り上げたい。

"Do not go gentle into that good night…
Rage, rage against the dying of the light."

「おだやかな夜に安住してはならない。
怒れ、死にゆく光に怒れ。」

作中の地球は死に絶えつつあったが、現実の世界はどうだろうか。この世界ほど見えやすい危機ではないかもしれないが、ゆっくりと死につつあると言えないこともないかもしれない。ただ、そのスピードが人間には捉えられないだけで。危機に臨んでそれを直視できるクーパーやマーフやブランドのような人物が我が世界でもいてくれるだろろか。そんな都合のいいお話になっていればいいが。

インターステラー (竹書房文庫)

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Interstellar: The Official Movie Novelization

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