空論オンザデスク

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国語力をつけるということ 第2回

発達による学力について

 

子供は、一人ひとり発達の進み方が違う。特に小学生は、誕生月によっても大きく差がでてしまうし、それ以上に個人差が大きい。登下校中の小学生の列をみると、大人とほぼ変わらない身長の子とまだまだ小さい子が同学年だったりすることはよくある。

 

精神的な発達もまた同様で、たとえば集中力の持続時間、抽象的な概念を扱う力、機械的な暗記に対する耐性などは、訓練だけでなく発達による成長を待たなければならない。
ただし、これら一つ一つを取り上げてそれらが何歳ぐらいでどのくらいの段階に達するということはできない。扱う内容が変われば、子供は(大人だって)目覚ましい集中力を発揮するわけだから。

 

ただし、こと国語がそんなに好きではない子供に訓練をしていく場合、このことを常に念頭に置いておく必要がある。さて国語の文章題をやりましょうというとき、それは子供が自分で選んだものではなく、否応なしに与えられるのである。しかも、その文章はたいていは途中から始まり、途中で終わる。これに興味を持ちなさいというほうが無理な話である。そうすると、その子供に解かせる問題の文章は、必然的にその子がその子の集中力の持続時間の中で無理なく読みきれる量にしなければならない。

 

好きでもないものの訓練をし、日々続けて力をつけていくには、当然のことながらそれが面白いと感じなければならない。どんなにしっかりした人間でも義務感だけで勉強は続かない。
そのためには、達成感がなければならない。できた、わかった、かんたんだ、そんな感覚が積み重なることで自信がつき、次に向かう意欲が湧いてくる。だから、いきなり難しくて長い文章を与えてはならず、少しずつ、無理なく解けるものを解かせることが必要なのである。

 

ここで、難しい文章とは何かについて触れたい。先ほど言った、抽象的な概念を扱う能力ということにも関連する。
たとえば、りんごとミカンとバナナ。これはかなり具体的な言葉である。これを一段階抽象化すると、くだもの、となる。さらに抽象化すれば、食物とか植物とか農作物とかになる。抽象度が上がれば包含する意味内容も増え、イメージが難しくなる。この、具体、抽象を行ったり来たりする思考は、ただ国語の問題を解かせるだけの訓練では限界がある。これはことばの整理能力に大きく関わる能力だからである。知っている言葉を整理し、これはこのグループ、あれはあのグループとカテゴリー分けをするにはたくさんのアウトプットを経験するとともに、ある程度の脳の成熟を待たねばならない。

 

暗記についても同様で、覚える必要のあるものを無理矢理覚えるという作業は、ある程度の発達が必要である。暗記には様々な過程と技術が必要であり、自分が覚えきれているのかどうかを客観的に評価するという極めて成熟した態度が必要なのである。暗記は、子供の柔らかい脳みそこそふさわしいと考えるのは誤りで、却って自己分析力にすぐれた大人の領分なのだ。
発達の遅い子供に暗記をさせるには、大人のサポートが絶対に必要だ。たとえば日本地図を見せて都道府県名を覚えさせるとき、さあ覚えなさい、では子供は何をしていいかわからない。まずは一つ一つ指差してやり、名前を言わせる。歌や語呂合わせのようなものをつくってやってもいい。指をさして何度も言わせ、時々名前を見ずに言わせてみる。ひとつクリアできたらすかさず誉め、飽きないよう、ステップアップを楽しめるようにする。全部言えたら漢字で書かせてみる。そこまでできても、次の日に覚えているのはせいぜい3割ぐらいであろう。そこで覚えていないことをなじってはいけない。覚えたものを忘れるのは人間として当たり前のことで、そのために毎日の反復が大事なのだと体験によって納得させることが必要なのだ。これらを飽きずに辛抱づよく大人がつきあってあげることで、ものの覚え方を少しずつ自分のものにすることができるのだ。

文章を読むという話に戻ろう。 したがって、国語がものすごく苦手で全然手がつかないという場合は、その子の発達段階にそぐわないものを与えてしまっている可能性がある。書かれたものを読むということに関しては、学年はあまり関係がないのだ。だから、無理なく読めて興味がもてる文章を読みながら、少しずつ抽象的な思考に慣れていく必要がある。また、大人が一緒に読んで、内容や感想について子供と話すことをぜひお勧めしたい。例えば物語だったら、感情移入ができるように、登場人物の気持ちを想像させたり、もし自分だったらと想像させたりすることは、文章を映像化する力を養う上でたいへん効果がある。