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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

国語の力をつけるということ 第3回

学習 教育 子育て

読解力について

読解力=語彙力+文脈力+経験値+解釈力と、前々回で書いた。
それについてもう少し掘り下げたい。

・メタ化と映像化

私たちが文章を読むときに、無意識に行っていることがある。それは映像化とメタ化である。映画やドラマを見て、そのあとに原作の本を読むと、当たり前のことだがものすごく分かりやすい。ストーリーがもう頭に入っているということもあるが、人物の顔や情景が映像となって頭のなかに浮かぶからということも大きい。紙に印刷された文字が目で捉えられたときに、それが単なる文字ではなく、具体的に色や形を持った何かになって浮かんでくる。それが映像化である。

抽象的な言葉についても同じで、例えば「せつない」という心情語を目にした時、私たちは自分の経験の中からそれに類する出来事を掘り起こし、重ねあわせることでその言葉を理解する。その時に、実際に切なかった時の情景が頭に浮かんでいるのである。もし、言葉にぴったりな経験がなかった場合は、似たような心情になった時のことがやはり頭に浮かぶ。きっとこんなような気持ちなんだろうな、と想像しながら読むのである。

・抽象語でもメタ化と映像化は重要

感情とは関係ない抽象語についても同じような現象が起こっている。例えば自然と人工という概念の対比が扱われた文章を読む時に、自然と来たら緑の山々、動物たちの鳴き声、清々しい空気などを呼び起こすし、人工という言葉に触れた時は工場の騒音、金属的な無機質なイメージ、排気ガスの汚濁などが思い浮かぶはずである。

このように、これはこんなイメージのもの、という分類が無意識に頭の中で行われている。これがメタ化である。

・語彙力

語彙力があるというのは、辞書が頭の中に入っていることではない。言葉を覚えるということはその言葉が使えるということであり、そのためには映像として、分類として様々な他のイメージや言葉と結びついていなければならない。子供が漢字の練習をする時に、その漢字と実際のものの何かのイメージが合わさって初めて身についたことになる。だから、漢字の学習に使う教材は絵や写真が豊富に含まれるものが良いと思う。「唱えて覚える漢字の本」という本には、漢字の成り立ちが絵で解説されていて、読めば字と絵が結びついて身につくようになっている。これはぜひおすすめしたい。

漢字の本 小学3年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

漢字の本 小学3年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

漢字の本 小学2年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

漢字の本 小学2年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

漢字の本 小学1年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

漢字の本 小学1年生 (下村式 となえておぼえる 漢字の本 新版)

下村式 唱えておぼえる漢字の本 4年生

下村式 唱えておぼえる漢字の本 4年生

下村式 唱えておぼえる漢字の本 6年生

下村式 唱えておぼえる漢字の本 6年生

下村式 唱えておぼえる漢字の本 5年生

下村式 唱えておぼえる漢字の本 5年生

・文脈について

文章を書く人は私たちと同じ人間だから、同じく映像と分類、メタ化によって言葉を整理し理解している。だから、どういう言葉がどういう映像を持ってどういう分類にあるかというのはその人にとっては言わずと知れたことで、わざわざ説明しない、ということが多い。ここに、実際に文章で説明されない暗示的な内容=文脈がおこる余地がある。

先ほどの例で言えば、例えば工場で生まれ育ち、機械や人工物に親しみを持っている人物が「自然と人工」というテーマで本を書いたとすると、その人の文章は、人工=善、という分類で書かれるはずであり、それはわざわざ文章では説明されない。そうすると、読む側はそういう文脈を推測しながら読まねばならないし、推測に失敗すれば文章全体の意味が分からないという事態に陥る。文脈を読みとる難しさは、まさにケースバイケースである。筆者と読者の映像や分類が似通ったものであれば、文脈を推測する必要など初めからなく、すらすら読めるであろうし、両者の共有するものがまるでないのであれば、非常に困難なものになるだろう。

・子供に伝えるには

子供は、言うまでもないが持っている経験が少ない。ここまで説明した映像化、メタ化は能力ではなく経験値の問題である。どれだけ多様な経験を経てきたかによって吸収できる語彙が変わるし、理解出来る文脈も異なってくる。まだ経験したことのない類の文章に触れた時、まるで理解できないのは当然のことである。私たちが宇宙人の書いた文章に触れたようなものである。そういう時、理解するための手段として残されているのは大人の手引きだけである。言葉の意味や使い回しをただ辞書的に伝えるのではなく、それが使われる状況やストーリー、成り立ちなどを豊富に展開して「経験」を作ってやる必要がある。

文字の羅列として与えられたものを、どのように読んで自分のなかに取り入れるか、それが「解釈」である。国語の場合、自分の好きに解釈することは許されない。筆者の意図する、というよりも世の中の最大公約数的な価値判断に沿って解釈しなければならない。それは大人が子供に伝える以外に方法はない。教育の現場で教えられている国語というのは、まさにそういうことなのである。