空論オンザデスク

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七つの習慣より 第二の習慣「終わりを思い描くこと」

 第二の習慣

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

 

 

自分の葬式を思い描く。ゴールはどこか。

 

誰にでも死は訪れる。この章は、もし自分の葬式に出席できるとしたら、どんなものであってほしいと望むか。そんな問いかけがスタート地点だった。家族、友人、職場の上司や部下、列席した人々がどんなことを言い、どんな表情をしているのか。その望む姿こそが、人生の究極の目的であると。人生の終わりに限ることではなく、仕事も日々の生活においても同じことが言える。たとえば、筆者は例え話が非常に巧みなのだが、ジャングルを切り開いて道を造る集団があったとする。マネジメント・チームはいかに効率よく仕事を進めるかの計画を作り、組織を管理する。職人の給料を払い、タイムスケジュールを組んで休息と労働の最適なバランスを決める。職人チームは道具を使うことに熟練し、速く正確に木を切ることに専念する。しかしリーダーは、高い木に登って周りを見渡し、こう叫ぶ。「おい、このジャングルは違うぞ。俺たちは間違った方向に道を作っているぞ。」これがリーダーの役割であり、仕事の進む本来の方向性を見定める。パーソナル・リーダーシップとは、自分のなかにいる自分のための方向性を見定める存在だ。そのためには、自分がどんなことに価値をおいているのか、把握する必要があるのだ。

 

自分の中心は何か

 

自分の重んじるべき価値、それが中心である。個人によって様々なものがあるが、一長一短である。たとえば、夫婦を中心に考える人は、一見良好な夫婦関係を持ち、幸せな家庭を持っていそうだ。けれど、相手に依存する気持ちが強く、相手の変化に振り回されてしまう。妻が妊娠したり、夫が仕事を失ったり、相手に起こった大きな変化がそのまま自分に響いてしまう。揺るぎないものがなく、パートナーを失う危機さえ誘発しかねない。この他に、家族、仕事、友人、娯楽など、様々な中心にしがちなものがあるが、いずれも不安定で確固としたものではないため、大きな短所をその内に抱えている。

 

原則を定める。ミッション・ステートメント

 

そこで、中心とするべきものは自分の「原則」だと筆者は言う。いわば自分の憲法である。他の何よりも優先するべく定めた自分の行動規範に従って生きる。自分の信条、生きる指針になる基準を成文化する。それがミッション・ステートメントだ。日々の生活の中で絶えず確認し、今の自分の行動はそれに沿っているか確かめる。あるいは迷ったとき、落ち込んだとき、道を見いだすためのよすがとなる。

 

考えてみれば、国には最高法規たる憲法があり、それに従う規範が整然と体系化されている。しかし、一個の人間としての自分には、揺るぎなく定められた基準がない。それだからこその人間だとも言えるが、悩み、道を失った時に道しるべとなるものが欲しいとも思う。

 

ミッション・ステートメントは、数ヵ月をかけ丁寧に練り上げるべきだと筆者は言う。浜辺のような静かな場所に腰をかけ、ゆっくりと心を落ち着かせて自分に語りかけるのだ。自分にとって基準となる価値は何だろうと。

 

翻って、今の自分は満員電車に揺られ周囲の人々と押し合いながら、スマホ片手にこの記事を書いている。雑念を入れずに沈思黙考するには最高の環境だ。自分に語りかけるまでもなく、最も価値のあるものは家族だと、内なる自分が断言している。その次、というより、三、四がなくて五に仕事ぐらいだろうか。でも、それらはどう位置づけられているのだろう。自分は家族や仕事をどうしたいと思っているのだろう。切り開いているジャングルの道はどこにたどり着くのだろう。やはり考える時間が相当必要だなと思う。

 

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