空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

幼児の寝言か日常の向かい側のホラーか

小さい子供さんをお持ちの方には、我が子のちょっとした言動や目線にヒヤリとした経験をお持ちの方もいらっしゃいますよね。

子供には大人には見えないものを見る力があるのでしょうか。ただ単に、記憶の中の物事と現前にあるものの区別をつける能力が未発達なだけなのかもしれませんが、少なくとも子供自身は「そこにいる」と思っているわけですから、無視するわけにもいきません。
 
その日は家族3人でディズニーランドに行き、みんな疲れきっていたので早々に布団に入りました。2歳半の息子にとっては初めてのディズニーランドで、目にするもの全てが未経験で、目の前にあるものをどう認識したらいいのか随分混乱していたようです。怖がって泣き出す場面も結構ありました。
 
さて、布団に入ってしばらくすると、それまでうとうとしていた息子が、突然ぱちっと目覚めて、「外を見る」と言い出しました。寝室の窓の外はマンションの廊下で、多少早い時間とはいえ出歩いている人はおらず、もちろん物音もしません。不審に思いながらも子供を抱き上げて抱え、片手でカーテンを開けても、もちろん何もありません。通路灯の薄暗い照明に照らされた廊下が見え、向こう側に隣のマンションの窓の明かりがちらりほらりと見えるだけです。
「窓を開けて」としきりにいうので開けてやると、じっと窓の外を見つめています。怖くなって「何かいるの」と訊くと、窓から目を背けて「そこ」とだけ言うのです。
気味が悪くなりました。
 
その後も何度か「外を見る」と主張し、窓を開けてみせてやりましたが、同じことを言い同じ動作をするだけで要領を得ず、不審とうそ寒さを覚えました。
 
翌朝訊いてみてもやっぱり要領を得ない答えが返ってくるばかり。何が見えたの?と何度聞いても、「ここ」というだけでした。子供への質問というのは、「〜が見えたの?」という訊きかたをしてしまうと、その「〜」が見えたことになってしまうようですね。おぼろげなものを表現する手段がないために、大人から言われたことをそれだとしてしまうという話を聞いたことがあります。誘導してはいけないわけです。
けれど、その朝は親のほうが耐えきれずに「だれかいたの?」と訊いてしまったのです。その瞬間、幼い脳の中では、記憶の中にあるおぼろげなものが「人」という明確な形をしたものに変化してしまったのかもしれません。子供はちょっとしかめ面をして短く「うん」と返事をした後、もうそれ以上は親の質問を相手にしてくれることもなく、おもちゃで遊びだしてしまいました。
けれどそれからしばらくして、ミニカーを手にふと「白い服を着ていたの」とつぶやきました。