空論オンザデスク

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天冥の標Ⅸ 感想

停滞というより新展開への壮大な序曲

今回の「天冥の標 」は、これまでに貼りに貼りまくった伏線をそろそろ残らず回収しまっせ、という著者のクライマックス宣言のような1冊だった。

ただ、これから謎を解き明かしていくというに留まり、なかなか謎そのものの核心は見せてもらえず、お預けをくらった犬のような切ない気持ちにもなった。

本作はいわば、ダダー、アンチオックス、ラバーズ、それにプラクティス。「創世記」からの主役たる集団たちの立ち位置をもう一度確認し、巨大すぎる敵が目前に迫っていることを匂わし、人類だけでなく宇宙そのものの存亡をかけた戦いが始まろうとしている、その状況確認のための一章だったのだと思える。もっともそれは、第7部、「新世界ハーブC」から三部にかけて綴られた壮大すぎる序曲の最終幕とも言えるけれど。

筆者は一体どこまで構想を作り上げてから書き始めたのだろう。

ここまで入り組んだ人類集団同士の因縁と歴史、それらをより合わせる縦糸と横糸。児玉圭吾からセアキ・カドムにつながるラインは初めから出来上がっていたかと、そうでも考えないとこういうアクロバティックな展開はなし得ないだろうと思うし、大風呂敷を広げながら着実に収束へと導いている手腕は驚嘆しきりなのだ。

 

本作では、存亡の危機に立たされた植民地メニー・メニー・シープの群像、プラクティスに捕らえられたラバーズのゲルトールトの敵中での戦い、探索の旅の途上にあるカドムとラゴスら一行、それに最後にちょっとだけダダーの一幕があって、それで終わりという感じなのだ。様々な人々が入れ替わり立ち替り現れるオムニバス形式のため、ストーリーはあまり進まない。次回作が楽しみになるばかりの罪深き一巻である。

 

 既刊のリンク(amazon)と簡単な覚え書き

天冥の標 Ⅰ メニー・メニー・シープ (上)

天冥の標 Ⅰ メニー・メニー・シープ (下)

第1部は、29世紀の宇宙植民地の話から。クライマックスにいきなり大どんでん返しがあって、ぷっつりと終わる。ただただあっけにとられる作品である。セアキ・カドムとプラクティスのイサリとの出会いが描かれている。 

 

天冥の標Ⅱ 救世群

第2部から第5部までは、「天冥」シリーズで登場する人類グループ(一部人間でないものもある)たちの誕生と活躍を順を追って紹介する、という位置付けになっている。

第2部は現代、西暦2015年が想定され、未知の疫病「冥王班」のパンデミックにより人類が震撼するとともに「プラクティス」の誕生を描いている。

 

天冥の標Ⅲ アウレーリア一統

第3部は「アンチ・オックス」(酸素いらず)と呼ばれる人々の話。宇宙戦艦と宇宙海賊のドンパチが描かれ、一番SFらしいといえばらしい作品だと言える。この巻に登場するアダムス・アウレーリアはシリーズ中でもっとも主人公らしい主人公。次作、第5部に登場するラバーズたちの生みの親たる師父ウルヴァーノも登場。また、メニー・メニー・シープのそもそもの名前の由来である「羊」がなぜ重要なのかもここで分かる。

 

天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち

ちょっとあっけにとられるくらい前作と異なる趣の作品。要するにエロい。それもそのはず、人類に性愛を持って奉仕することを使命として生み出されたアンドロイド?のような存在、「ラバーズ」が登場する。この作中ではまだ「プロスティチュート」と呼ばれている。彼らと「プラクティス」の出会いが描かれ、また「ロイズ」の不気味な動きもそろそろ目立ってくる。

天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河

第5部。農夫タックの物語と、ダダーのノルルスカインの誕生秘話が語られる。農夫タックの話は、全体の中でどういう位置付けなのかちょっと自分でも理解していないので再読を要するのだが、ノルルスカインの話の方がはるかに面白いので毎回再読するときにそっちに引き込まれてしまう。 

 

天冥の標Ⅵ 宿怨 PART1

天冥の標Ⅵ 宿怨    PART2 

天冥の標Ⅵ 宿怨    PART3 

第6部は大崩壊かつ一大展開、大戦争の話。これまで2部から5部までに語られた太陽系宇宙の秩序が全て惜しげもなく地獄の釜に投げ込まれ、ごった煮になる。

それとともに、第一部につながる道筋がつけられる。

 

天冥の標VII 新世界ハーブC

第7部は、前回の大崩壊から一転して新世界の建設の物語。第一部でちょっと語られた植民地の創設メンバーが活躍する。

 

天冥の標Ⅷ ジャイアント・アークPART1

天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク PART2

第8部は、第1部をより全体から見渡して再構成した物語。それだけに一部で同じ話の繰り返しだという意見も聞く。第1部はあくまで植民地メニー・メニー・シープの住民としての視線から、第8部はこれまでの歴史を踏まえた上でのイサリ目線の物語である。

 

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