空論オンザデスク

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都立桜修館中等教育学校の合格発表について

合格発表に接して

 

昨日2/9、東京都立の中高一貫校の合格発表がありました。

全体の応募倍率6.22倍の厳しい競争を勝ち抜いた受検生の答案はどんなものだったのか、自分なりに分析したことを書きたいと思います。
私の受け持った受検生は大半が桜修館受検でした。桜修館は、男子5.78倍、女子7.74倍、全体6.78倍と、都立中全体の中でも高競争率でした。私のところからは男女合わせて9人がチャレンジし、合格は3名でした。ちょうど3倍です。全体に比べればまだましな感じですが、やはり半分以上の受検生を落としてしまうという現実は耐え難いものです。昨日は校舎全体を悲痛なオーラが漂い、合格者にはとりあえずおめでとうを言って帰し、ひたすら不合格者の心のケア。そこは小学生ですから、不合格という現実、自分が全存在をかけて欲したものが永遠に手に入らないという現実は、容易に受け入れられるものではありません。
 

合格者の答案の共通点

 
ただ、どういう風に受ければ合格し、どこをどうすれば落ちるのか、その辺の分析はやるべきですし、やらざるを得ません。
合格した3名の答案のうち、共通する点は以下の3点です。
(ここでいう答案というのは、もちろん本番の入試で提出したものではなく、入試が終わった後に生徒たちに再現してもらったものです)
 
  • 適性検査I(作文)は、決して上手くはない。また、高尚なことが書けているわけでもない。ただ、与えられた題材(ヤジロベエの図)から、自分の心が深く動いた体験を引き出し、その体験を素直にありのままに書いている。
  • 適性検査Ⅱの大問1(算数、お楽しみ会の問題)は、正直言って出来が悪い。簡単な問いをポロポロと落としている。問題3(受付の行列の問題)の小問2は、全員空欄である。
  • 一方、適性検査Ⅱの大問2、(社会、世界遺産を題材にした問題)は、3人とも全て埋められている。
 

分析

 
作文について
今回強く感じたのは、「真実味」です。
作文のセオリーに沿って論理一貫性も完璧な作文を書いた生徒が落とされ、論理構成がガタガタでテーマからもずれている作文を書いた生徒が受かりました。もちろん、全体の得点が出ていない中で結論を出すことは時期尚早です。この分析はあくまで現時点での草稿のようなものです。
と、断っておいてあえて考えてみたいのは、後者の作文の優れた点は何だったのか、ということです。それは、書き手の本物の体験と本物の心情が伝わってくる作文だった、という一点に尽きます。下手でも読ませる力を持った作文、ということが大きなポイントだったのではないかと考えます。
もしかすると、この仮説が正しいとするならば、私たちは桜修館を受ける生徒への作文指導を根本から改めなくてはいけないかもしれません。「作文の型」を教え込もうとするあまり、「その子なりの自己表現」を潰してしまい、結果的に合格から遠ざけてしまうことになるかもしれない。もちろん、この判断は時期尚早なことはいうまでもありませんが。
 
 
適性検査Ⅱについて
特に、大問2の社会の問題についてです。
問題は、一見歴史の知識を問う問題ですが、実際によく見てみると知識は一切不要で、ただ問題文を丹念に読むだけで答えが分かります。このあたり、非常に良くできた問題だと言わざるを得ません。
都立中の適性検査では、過去に歴史が出題されたことはほとんどありません。当然、都立に絞って対策をしてきた生徒にとっては寝耳に水です。年表を見た途端に、「歴史だ=勉強してない=分からない」となり、パニックを起こしてしまった生徒も多かったはずです。過去問対策が完璧な生徒ほど、パニックは大きかったはずです。一方、私立中の受験がどちらかといえばメインで、都立を併願している生徒にとって、これは見た途端に「カモ」に見えます。年表に載っている内容は、すべて基本中の基本で、知っていて当たり前のことばかりだからです。しかし、ここにも落とし穴があります。この問は、あくまでも資料を分析して論理的に正しいと思える関係性を見つける問題なので、下手な知識は返って「資料に載っていないこと」まで選択肢にあげてしまい、結果として誤答を書いてしまう可能性が高いのです。
この作りは、本当によくできています。塾での対策が十分であればあるほど、言われたことを言われたままにやってきただけの生徒の目を曇らせ誤答に導く。「自分で考える頭とパニックを起こさないセルフコントロール」を持った生徒は、陥穽に落ちることなく正しい問題の形を見破ることができます。
この問題は、都立中の、「こういう生徒に入ってほしい」というメッセージの表れだと思いました。
 
塾の裏をかいてくるえげつないやり方で(と勝手に著者が思っているだけですが)、大変気にくわないです。しかし、これは明確なメッセージです。この文意を正確に受け止めない限り、私たちにも、そして来年受検する生徒たちにも幸せは来ないことでしょう。