「文明の衝突」は、冷戦後の世界をどのように規定したか
前回に引き続き「文明の衝突」の話です。
前回の記事
- 作者: サミュエル・P.ハンチントン,鈴木主税
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冷戦後の国際秩序は文明間の対立構造を基本とする。
文明というのは、例えば古代ローマ文明とか、アステカ文明などのようにかつて存在し、滅びたものという印象があります。けれどここでの意味は、言語や宗教、人種、生活習慣などを共有する人類のグループのことです。
ハンチントンは、現在世界に
の8つの文明が存在するとしています。もっとも、アフリカ文明については、西欧文明やイスラム文明に含まれてしまう場合があるとし、明確に存在するとは明言していません。
8つの文明を色分けしたもの。(ブログ著者によるものなので間違いがあるかもしれません)
もちろん、日本がもっとも小さい「文明」です。
日本が一個の文明として独立するのならば、東南アジアはどうなのとか、朝鮮やモンゴルを中華文明のくくりに入れてしまうのはやや乱暴だとか、そういう細かいツッコミは入るでしょうし、当時もたくさん入ったでしょう。どこをどちらに入れるとか入れないとか、細かいところを突いたら話が始まらないので、ハンチントンはとりあえずこの8つとして「モデル」を作り、それらが相互作用によって衝突をするという説を立てたのです。
ともあれ、この説によると、世界は8つの文明グループに分かれており、それらの「断層線(フォルト・ライン)」に沿って紛争や戦争が起きやすくなるというのがハンチントンの主張でした。そのもっとも強力な根拠が、文化と文化的なアイデンティティが冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンをかたちづくっている。ということです。
どういうことでしょうか。
文化と文化的アイデンティティ
1993年に起こった旧ユーゴスラビア内戦。
現在の地図でいうと、スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェコビナ、モンテネグロ、マケドニアの六つの国に分裂した国で、東方正教系のセルビア人、西欧系のクロアチア人、イスラム系のボスニア人の文化、宗教の違いから生まれた対立が激化して紛争に発展。民族浄化という、他民族の絶滅をもゆるしかねない最悪の状態に至り、人道危機も叫ばれた。結局、内戦終結に至って、連邦を構成していた国家は散り散りに分裂、独立することになり、今に至っています。
↑黄色で塗りつぶしたところが旧ユーゴスラビアの領域。古くから多くの民族が暮らす地域でした。
この内戦と、1991年以前の戦争との違いは何か。
ハンチントンはこう書きます。「西欧はボスニアのイスラム教徒に意味のある支援をしなかった。セルビア人の残虐行為を非難したほどにはクロアチア人の残虐行為を非難しなかった。ロシアはセルビア人を支援し、イスラム諸国はボスニアを一致して支援した。」
つまり、
西欧=クロアチア人(西欧文明)
というように、それぞれの文明に近い、もしくは属するグループが互いに結びつくという現象が起きました。これは、これまでの冷戦体制下では起こらなかったことです。なぜ、このようになってしまったのでしょうか。
単数形の文明と複数形の文明
ハンチントンは、ここで文明という言葉には単数形と複数形の二種類があると言います。
単数形の文明とは、いわゆる野蛮な状態、未開状態の対義語であり、西欧の語る普遍的な文明を指します。 社会生活を送る上で必要な様々なシステムが整い、大規模な社会が出現していることです。それに対し、複数形の文明とは、先ほどあがったような、言語や宗教、血縁、地縁、生活習慣などを共有する集団のことです。そして、冷戦が終わり、単数形の文明がもたらす価値はその重要性を失い、複数形の文明が存在感を強めてきたと言います。
なぜ文明が衝突するのか
ハンチントンは、
文明を定義する客観的な要素の中で最も重要なのは宗教である。
と主張します。この辺り、宗教感覚に疎い日本人にはなかなか理解が難しいところです。