靖国神社でうどんを食べる
大変久しぶりに九段近辺にいったので、散歩がてら靖国神社を参拝させていただいた。
靖国参拝というだけで政治問題になりそうな不穏な響きを持つようになってしまったが、この日の靖国は人も少なく平穏そのもの。
さすがに鳥居も門も社もすべて壮大。謹厳な佇まい。日本という国家と明確に結びついた神社ということですから、どこか他の宗教施設にはない重々しさがあります。
手をあわせる時もどことなく緊張してしまいます。きちんと背筋を伸ばして二礼二拍手一礼。
帰りに休憩所に寄ってうどんを食べました。都心のさらにど真ん中だとは思えないこの寂れた雰囲気。
「靖国うどん」は、月見で食べました。強いていてば、出汁の効いたところが特徴ですが、まあ、普通のうどんです。
冬の寒い時期だったので、大変温まりました。
この休憩所は、昭和11年に家政学院の豊原繁尾先生が建てられたものであるという額が掛けられています。豊原繁尾、で検索すると、なぜか「お茶の水女子大デジタルアーカイブス」に写真が出てきて、
「大正8年3月に手芸(組糸)の授業を担当した」とありました。
手芸関係の教科書を多く残している先生のようです。
献額には、「この人は彦根藩士の子孫で、国を思う心が強く、靖国神社に日参し、参拝者のためにこの休憩所を建てた。」とありました。
彦根藩といえば、井伊家の所領。幕末は佐幕の最右翼だった藩です。その藩士の末裔が、敵であった薩長の作った神社を支えるという構図は感慨深いものがあります。維新後数十年を経て、旧藩意識が解消され日本人という共通認識が確立したことを証明してくれるようです。
休憩所を作るという発想も、裁縫の先生らしくお母さん的な心配りを感じますね。そのおかげか、この建物は古い時代の情景を玉手箱のように閉じ込めています。
大村益次郎は相変わらず高いところからさらに遠くを見ようとしていました。
この、戊辰戦争を奇跡のような迅速さで終結させた立役者は、もともとは軍事とは関係のない蘭学者でした。この人がもし、薩長の首脳によって見出されていなければ、日本は泥沼の内戦を戦い、疲弊したところを西欧列強に衝かれて明治早々に植民地化していたかもしれません。
大村益次郎については、司馬遼太郎の「花神」を読むのが一番だと思います。
近年、この国民的作家の作品の信ぴょう性に疑問符をつけるような著作が出ていますけれど、ここまで面白く読める大村益次郎伝は他にはないでしょう。歴史上の史実は史実として、大村益次郎像は、「花神」に登場する村田蔵六がもっともしっくりきます。
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うろ覚えの歴史とともに一人で散歩、というのは、学生時代に友人たちと行き交った当時と比べて随分枯れたもんだなと思います。同じ場所を歩き、当時の自分の背中を見ながら目を細めるというのも良いかも知れません。