人はなぜ思ってもいないことをしてしまうのか。ー「影の現象学」からー
影が人に何をさせるのか
私たちは時折、自分でもなぜあんなことをしてしまったのだろうかと疑問に思うようなことをやってしまいます。ふと魔が差して、とか、ついうっかり、など無意識的にということもあります。しかし、これをやってしまったらほぼ確実に後々のフォローや埋め合わせが大変だろうなあ、と思いながらやってしまうこともあります。一度に限らず、継続的に不合理な行動を取ってしまうこともあるでしょう。
私は数年前、毎晩必ずホラー映画を見てからでないと眠れないという奇妙な習慣を持っていました。それをすると必ず悪夢を見るのだが、うなされて汗びっしょりで目覚めるということを夜毎に繰り返しても止めませんでした。
そういう、人間には自分では説明のつかないことが数多くあるはずです。それを説明するための一つの手段が、「影」というものの存在ではないかと思います。それが、この本を読んで感じたことです。
「影の現象学」というタイトルについて
「現象学」というタイトルながら、哲学用語のいわゆる現象学とは関係がないようです。この本は人間の無意識の領域としての「影」がどういうものかを、夢判断における症例や神話、小説の中から豊富な例を挙げつつ紹介していくものでした。
- 作者: 河合隼雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1987/12/10
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 32回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
ユングの「影」の概念
影はその主体が自分自身について認めることを拒否しているが、それでも常に、直接または間接に自分の上に押し付けられてくるすべてのことーたとえば、性格の劣等な傾向やその他の両立しがたい傾向ーを人格化したものである。
睡眠中は自我の統制力が弱まるため、無意識的な動きが活発になり、それを自我によってイメージとして把握したのが夢である。
からです。そのため、夢分析がこの本における主要なツールになっています。ある人物にこう言う問題があった。夢分析をしてみたら、夢の中に出てきたこう言うキャラクターや事物が、この人のこう言う影の部分を表していた、というような。
影の病い
ある夢中遊行をする思春期の女子の話。その子は夜半、寝台から起き上がって両親が談笑している部屋にやってきて、眠った状態のまま両親の周りをぐるぐると歩き回った。それを何度も繰り返したのちに、両親が困りきって筆者に相談した。
話を聞くと、両親は自立的に子供を育てるということにこだわりすぎ、子供時代に当然求められる接触を欠いた育て方をしていた。それによって、娘の温かな家族愛への満たされない欲求が影となって育っていき、夢中遊行という行動となって顕在化した。
その後の親子関係の改善によってこの夢中遊行はなくなっていった。
このように、押し殺した願望や目を背けている自分の欠点など、人間が誰しも持っているマイナスの心的要素が、何かのバランスの崩れによって顕在化し、心の問題となって現れてきます。
こういう、自分自身が分裂してもう一人の自分がいるように感じられたり、あるいは自我が望んでいないと思われる行動を取ってしまうことを「影の病い」といい、「二重身」の現象と呼んでいます。これが解決されることなく放置されると、上の例のような夢中遊行やヒステリー症の健忘、朦朧状態などになってしまうと言います。
では、冒頭の私の経験、毎晩ホラー映画を見て悪夢にうなされていたという変態的な行動は何を意味していたのでしょうか。
私の親族の中に、子供を怪談話で怖がらせるのが大好きな伯母がいました。近所に住んでいたため結構行き来が頻繁で、子供の頃はよく泊まりに行っては怖い話に聞きいっていました。そういう経験が繰り返される中で、幼い心の中に怪談への恐怖心が育っていったのかもしれません。そして、大人になって、そういう恐怖心を押し込めるために、大人になってまで怪談に怖がってばかりいられないという「表の」建前が強調されるにつれ、毎夜の行動となって顕在化して現れたのではないかと考えました。
その他、影の問題
本書には、このような影から引き起こされる病いの他に、多重人格、歴史的な影の役割としての「道化」の存在、「トリックスター」の存在など、様々なものが扱われています。それらについては機会があったら紹介していきたい。ちょっと自分の中でまだそれらへの理解を落とし込めていないのが事実なので、今回は取り上げられませんが。