空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

ブログかじりの読書虫

読書とは、楽しんでやるもんです。

一年で何冊読めば仕事の仕方がかわるとか、ビジネスパーソンはこの分野の本をこのペースで読まなきゃプロじゃないとか、読書を修行かなにかと勘違いした巷説が溢れていますが、そんなことを言われると読む気がなくなってしまう。

 
自分自身は、これまでずっと乱読雑学の輩でした。分野も方向性もバラバラで、ふらっと本屋に立ち寄って気になった本を買いこみ、家に積んでおいて読みたい気分になったら読む、というスタンスでした。最近は家庭もありなかなか新刊には手を出せないので、ブックオフがもっぱらの我が城です。
 
ただ、ブログを書くようになって、「この本を題材にどんなことを書いたらいいのか」を考えながら読むようになりました。悪く言えば、「この本の中で得をする部分はどこか」ということであり、それはそれで読書の動機が不純になったとも言えるのですが、けれども読む目的がある程度固まっているだけで、本というものに対する姿勢が変わってくるように思います。
 
つまり、ネタを探しながら読むというのは、読む側からの能動的な働きかけであるということです。たとえ動機が不純なものであれ(なにかブログのネタになってpvが稼げそうなところはないかな、など)、その方が本の内容が頭に入りますし、題材にした内容についてはずっと頭の中に残っている。そういう利点があるんだと分かりました。
 

秋山真之の読書法

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

 

 

坂の上の雲」の中で、秋山真之が本を読み漁って戦術研究をする場面があります。
 
坂の上の雲というのは司馬遼太郎の代表作で、日露戦争を扱った長編です。かの国民作家の出世作であり、作家として脂ののりきった時代をほぼ費やして書かれた作品ですから、どこを読んでも神がかった筆力があふれんばかりです。
秋山真之とは、日露戦争において、世界最強と言われたロシア艦隊に対し、世界最弱の日本海軍をして完全勝利を収めさせるという奇跡を演じた作戦の発案者で、後の世では戦術の神のごとくに扱われた人物です。
 
さて、その秋山真之は、本を読むときにまず自分の読みたいところを探し、そこだけを暗記してしまうくらい読み込んで、あとの部分には鼻もひっかけないという読み方をしていたんだそうです。
そうやって古今東西のありとあらゆる戦術を総合していく中で、彼一流の作戦理論を練り上げ、そのありったけを対ロシア戦につぎ込んだのです。
 
その結末はこの記事の主眼ではないので置きます。
ともあれ、秋山真之のような読書は、非常に能動的だったといえます。彼にとって書物とは、なんらありがたがるようなものではなく、自分に必要な知見を引き出すための、単なる道具に過ぎませんでした。先人の知恵だとか稀代の古典だとかいう装飾を一切剥ぎ取った上で、みずからの思考に役立つか否かで判断し、書物という複雑な構築物をいわば部品のようにバラバラにしたわけです。
 
しかしそれは、一面では正しい読書の仕方と言えるのではないでしょうか。なぜなら、本とは結局のところ紙に書かれた文字に過ぎず、煎じ詰めれば死んだ植物の破片でしかありません。書物を生きたものにするのは紛れもなく読み手であり、書き手の意図は介在しようがないのです。
 
しかし秋山真之ほどに割り切った読書法をするには、熟練した読書技術が必要です。「必要なところのみを読む」と言っても、さてどこが必要でどこが不要なのか、本を手に取った段階ではもちろん分かりません。通読して初めてそれは分かることでしょう。
 
結局、私のような一般人は、分厚い紙の束を丹念に繰っていかざるをえず、ここだ、というところにたどり着くまで、死せる書き手のうんちくに付き合っていかねばならないのかもしれません。
 

もう一度、ブログを書く前提で読書をすることについて

 
ブログとは、不思議な文章世界だと思います。日記ほど自分勝手でもなく、本のように一つの世界が固まっているものでもありません。
読み手と書き手がその都度入れ替わるため、たとえばpvとかを通していちいち影響を与えられるものです。かといってSNSのように、自分のものと他人のものが区別できなくなるほど混ざってもいない。ちゃんと明確に自分の領域を規定できます。
 
最初に戻ると、確かに読書は楽しむものですが、読んで「あはは」というだけが楽しみではない。それだけでは本を味わい尽くしたとは言えないと思うようになりました。
ブログという場所を通して、その読書体験をより楽しめるものにしていけるというのが、最近の嬉しい発見です。