空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

TBS「ハト男」報道の不快感

http://jcc.jp/news/10645766/

TBSの朝の情報番組「ビビット」で放送していた「ハト男」報道が酷すぎて見ていられない。

アパートに1人で住む年配の男性が、玄関先でハトへのエサやりを繰り返すため周辺にハトが集まってしまい、周りの住民が迷惑しているという話。
テレビクルー"取材班"がマイクを向けると、無言で水をかけてきたり棒を持って追いかけてきたり、エスカレートして油を撒いてきたりする。
特にテレビスタッフが水をぶちまけられるシーンは"衝撃的"で、要するにテレビ映えするため何度も繰り返し流され、男の異常性と凶暴性を浮き彫りにしている。
そういうハト男に対し、取材班はあくまで紳士的にインタビューを求め、水をかけられても文句一つ言わず低姿勢で話を聞こうとする、その対象性が目立つ。

「常識的かつ穏健な一般市民」と、「非常識で凶暴なハト男」の対比がこれ見よがしに強調され、たいへん分かりやすい報道だと思う。

いやしかし、ちょっと待てよと思う。これはいくらなんでも酷すぎる。
まず、取材の求め方がいい加減で、低姿勢なのは表面だけなのが見え透いている。いきなりカメラ連れて玄関先でマイクを突きつけられたら誰だって腹も立つだろう。面識のない人に撮影を依頼するとしたら、事前にアポを取って訪ねるのが筋というものだと思う。
また、暴れまわる男をなだめようとする取材班の行動はまるで「猛獣馴らし」で、相手を人間扱いしていない。水をかけられるシーンでも、それに至るまでの取材班の態度は終始挑発的で、「さあ何かしてこい」とでも言わんばかり。乱暴であればあるほど良い絵が撮れるんでしょうけれども。

家の周辺で動物にエサやり、というのは、迷惑行為でしかないが、分からなくもない。別にこの行為を正当化しようとも思わないが、かと言って人格を否定されるほどかと思う。行政が条例か何かに則って対処しようとしているようなので、それならそれで構わないのではないかと思う。テレビが取材なんかして煽りたてたら、むしろ問題を大きくするだけだ。昔は地域のコミュニティの内部で解決できていたこの種の問題が、コミュニティの崩壊によって解決できずに放置されているだけだと思う。

それにしても、テレビのこういう報道が無くならないのは何故だろう。
ニュースとして成り立つ話題が無いからではないだろう。世界は相変わらず痛ましいニュースで溢れているし、政治経済は問題だらけだ。そんな中で、どうしてこれだけの時間を割いて近所の迷惑おじさんの話を大真面目に伝えなければならないのだろうか。

佐々木俊尚という人の言う、「マイノリティ憑依」という言葉が思い出される。
日本のメディアは、「声なき少数の弱者」の立場で世の中を見、そういう視点で報道をしがちである、という考え方だ。この場合は、ハト男の近所の住民がその憑依の対象になっていることは間違いないが、それ以外にも、そういう迷惑を被る人々に心を傷める声なき一般大衆という無数の「被害者」をも、代弁すべき対象に加えている。そうすることで、メディアは「たくさんの被害者を代理する」という絶対的強者の立場を手に入れ、この視点でものを言うかぎり、誰をターゲットにしても非難されにくいというアドバンテージを持つ。

恐ろしいのは、このターゲットに自分がいつ選ばれることになるのか分からないということだ。誰しも自分が誰にも迷惑をかけず善良に暮らしていきたいと思っている。けれど、そうもいかないのが生きるということでもある。自分が生きているかぎり誰かに負担をかけているものだし、(呼吸をすればそれだけで空気を汚す)公明正大だけでやっていけないこともある。しかしそれでもとりあえずおおむね「普通に」生きていると思っているのだ。
そういう生活のある部分が突然注目され、非難されるようになる。ハト男さんの行状が客観的に普通の部類に収まると言っているのではなく、あくまで主観の問題である。何を指して普通というかは人によって異なるのだ。だが、こういう報道の行き着く先は、そういう千差万別の「普通」を非常識だと断定し、公開の処刑場に上げるということである。
そうなってしまったら、まず自分の抗議などかき消されてしまう。なにしろ相手は声なき被害者という最強の存在であり、自分は糾弾されるべき加害者でしかない。

だから、こういう報道に関心を持ってはいけない。安易な吊るし上げでメディアを儲けさせてはいけないと思う。