空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

3歳に贈りたいブロック系おもちゃベスト3

タイトルの両端が「3」で揃って、なんとなく縁起の良さそうな記事になりそうな気がしています。

 

3歳のクリスマスにブロックが最適な理由

 

3歳はだいぶ手先が器用になってきて、自分で何かを表現したいという欲求を持つようになってきたと感じます。

プラレールなんかをやっていても、2歳の時は「パパ、レール作って」とか言ってきて、レイアウトを作るのは専ら親に任せきりだったのが、近頃では逆に手を出すと嫌がるようになってきました。

出来上がったレイアウトもそれなりに完結するような勢いで、まだ最後の帳尻合わせは親の手が必要なんですが、それも時間の問題かなと思います。

 

そういう3歳の煮えたぎる表現欲求を満足させるため、「今年のクリスマスはブロック系でキマリ」となったのですが、今の世の中、おもちゃなんてよりどりみどり。ブロックも、まあ面白そうなやつがよりどりみどりで、そこから先が難航の連続です。

ここでひとまず、最終的な候補となった三強を挙げたいと思います。

 

LaQ(ラキュー)

ヨシリツという日本の会社が開発した純日本産の新型ブロックです。

これまでのブロックと違い、積み上げるのではなく輪郭をかたどっていくイメージでしょうか。

どんな立体でも作れるように各パーツの形や接続が工夫してあるので、製作できるものの可能性は無限大です。

まずは平面から始めて、徐々に立体的なものに取り組んでいけるのも魅力。

幼稚園や保育園で導入しているところも多いらしく、「幼稚園で夢中になってやってたので家でも購入した」というレビューも多かったですね。

実店舗では、書店を通して販売しているらしく、普通のおもちゃ屋さんでは置いてないことが多いです。本屋さんの扱いがメインということで、「作り方本」の品揃えが多いのも魅力の1つでしょう。成長に合わせてどんどん複雑なものを作れるようになるようです。

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 これがおそらく現時点でもっともコスパが高いと思われる「ボーナスセット」

1150ピース入っており、バラで買うと結構高い車輪系のパーツもしっかり入っています。この記事執筆時点で¥7,882でした。 

 最も基本的な350ピースのセット¥2,380。車輪系は入っていないようです。

レビューを見ると、すぐにピースを買い足した人が多そう。

 

 650ピース入りの、ちょっと豪華になった基本セット¥6,478。車輪も入っているので、楽しみ方のバリエーションは広がります。見た感じ、これくらいあれば十分楽しめそうな感じですが、今だったら上のボーナスセットのほうが断然安いですね。

 

LEGO(レゴ)

 

言わずと知れたブロックの定番。

世界的に普及しているので、シリーズの品揃えは他とケタ違い。パーツのバラエティは数えきれないほど。親もこれをやって育った世代が多いでしょう。親子で一緒に楽しめるのが魅力の1つですね。

 レゴの魅力のもう一つは、逆説的ですが「どんなものでも作れるわけではない」ということだと思います。レゴの最小単位のブロックが完全な立方体ではありませんし、すべての基本ブロックにカドがあります。ですから、球体に近い形とか、そういう曲線を狙った形にするのにはかなりの経験と技術が必要なんですね。

そういう「不自由さ」こそがレゴの創造性を支えているのでは、と想像するのもありかなと思います。

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 やっぱり最初に買うとしたら、こういう基本的なブロックが詰まったやつがいいかなと。790ピース入って今なら¥4,186。安い。

 

マグフォーマー

 

「ブロック」ではありませんが、基本的なパーツを組み合わせて何かの形を作る、という点では同じくくりにしてもいいかなと。

三角形、四角形、五角形のプレートが基本パーツで、各々の辺に磁石が仕込まれており、いとも簡単にくっつけたり離したりができるところが魅力です。

ボール状のものや、直方体、立方体、それらを複雑に組み合わせて動物や乗り物を作ったりできます。1パーツあたりの値段が高いのが玉にキズですが。

 よく似た類似品があるので注意が必要です。でも、ちょっと調べた感じでは、類似品でもマグフォーマーと互換性があって一緒に遊べるらしいです。ただし、ピープルの「ピタゴラス」とは互換性がありません。磁石の仕込み方が違うため、くっつかないとのこと。ちなみに、ピタゴラスではなくこっちにしたのは、こちらのほうが磁石が強力で、形を維持しやすいという情報があったからです。

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 これがおそらく最も基本的なセットでしょう。並行輸入品で¥7,980。

 

 こちらは5角形がない30ピースのセットで、¥4,980。結構高い。

 

 

ということで、どれも甲乙つけがたく、幸いお祖父ちゃんが2人いるので、3人で分担して一つずつ買ってみることにしました。

どれも末長く遊べるおもちゃだと思いますし、組み合わせて遊んでも楽しそうです。

 

 

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私たちの職は人工知能に奪われるとか奪われないとか ーシンギュラリティ前夜の世界を思い描くー

人工知能が人間を超える「シンギュラリティ」

人工知能の能力が加速度的に向上していき、ついには人間を凌駕する。それをシンギュラリティ(技術的特異点)と言います。起こる時期は、提唱者によってまちまちですが、2045年あたりを指すのが最も多いらしく、2045年問題とも言われています。

ideasity.biz

 

「なくなる職業」「生き残る職業」

 

20年後には、現在ある職業の半分がAIに代替され存在しなくなるという衝撃的な予測が出されました。この、オックスフォード大学のオズボーン准教授による予測は、ショッキングな内容とともに、「なくなる職業」と「生き残る職業」という二項対立的なシンプルな構図が話題を呼び、いたるところで喧伝されてきました。

その後、雨後の筍のようにあちこちから「この職業は残る」とか、「この職業は消えて無くなる」とかいう主張が飛び交い、ネットで検索でもしようものなら大変な情報パニックに陥ってしまうこと間違いなしです。

私自身も教育業界の片隅で飯を食わせていただいているので、「教師」という職の運命には無関心ではいられないのですが、残念ながら6:4ぐらいで消える方にカテゴライズされていますね。

 

議論すべきは「シンギュラリティ前夜の世界」 

(画像クリックでアマゾンのサイトに飛びます) 

 

話を最初に戻すと、シンギュラリティ(技術的特異点)をめぐる議論は、そもそもそれが起こるかどうかという根本的な部分も含め、人間社会の究極的な姿を予言しようという、非常にSF的かつ深遠な議論なわけで、職業云々よりも以前に、人間という存在がその姿を保っていられるかどうかというところまで議論の対象にしなければなりません。

だから、私たちが考えなければならないのは、「シンギュラリティ前夜までの漸進的人工知能化の世界」であって、人工知能が万能となった世界ではありません。

もしも人工知能が人類の総体を超える能力を持ち得たならば、そもそも「思考する」ということ自体の担い手が人間ではなくなっているからです。

 

技術革新は仕事を作りもする

manapedia.jp

ですから、前提としては、「人工知能が徐々に能力を増大させていき、人の能力にキャッチアップしてくる社会」です。そして、重要なのは、今の前提の部分の「人工知能」を「機械」に置き換えて読めば、産業革命以来、私たちがもう300年以上もその只中にいるということなのです。

例えば内燃機関の発明とともに、馬車の御者は徐々に減っていきましたが、その代わりに自動車の運転手が増えていきました。技術革新によってそれまであった職業が不要になる一方で、新たな需要が生まれ、新たな職業が必要になってきました。それはこれからの社会でも同じはずです。たとえば自動運転車。自動運転が普及した社会では、当然ながら「運転手」という職業は存在しなくなっているでしょう。しかし、今度は、自動運転システムのメンテナンスをしたり、運行を司る人工知能の管理をしたり、リスク管理をしたりする職業が必要になってきます。

それは、機械が人の仕事を奪う過程であり、かつ機械が人の仕事を作る過程でもあるのです。ただ現代の世界が抱える問題というのは、技術革新のスピードがかつてないほどの速さだということです。

 

人工知能はすでに生活に根付いている

 

もはや人工知能は空想のものではなく、私たちの生活に着実に入り込んできています。PEPPERを見たことがある人はさほどいないかもしれませんが、ほとんどの人はsiriと話したことがあるでしょう。目に見えにくいところ、なんとなくいつの間に、という部分で、すでに人工知能への置き換えは進んでいるのです。

http://business.newsln.jp/news/201612130559450000.html

さきほどの自動運転の話で、googleが自動運転システムの開発を中止したとのニュースがありました。こういった法整備が進まないなどの障害で開発が鈍化することも一時的にはあるかもしれません。法システムの不備というのは、要するに技術革新に対する人間側の拒否反応だと見ることができます。しかし人間はこれまでどんなことにも慣れてきましたし、「運転席にだれも乗っていない車」に対する生理的恐怖感も、時間が経てばいずれ解決するものです。

 

人工知能の普及は究極のコスト削減をもたらす

 

話が脇道に逸れまくってしまっています。私が言いたいことは、人工知能が普及することで、人の活動にかかるコストが極限まで削減できるということの意味です。

 

技術革新とグローバル化は、生産や流通、消費といった経済活動にかかるコストを不可逆的にどんどん削減してきました。人工知能化はそれに拍車をかけるどころではなく、まったく異次元のコストカットを実現するのです。

ルーチンワークやパターンワーク、危険な仕事、肉体労働、それらをすべて機械がやってくれるとしたら、何をしますか。

もちろん、上の記事にあるような、人にしかできないクリエイティブな職業に就き、オリジナリティを追求する人も中にはいるでしょう。しかし、他の大部分は、そこまでの才能や関心を持ち合わせていないとしたら、することは一つではないでしょうか。

 

つまり、開拓です。海底世界、月面、太陽系内惑星など、コストがあまりにもかかりすぎるという理由で開拓の手が伸ばせていない場所が、ちっぽけな人類領域の外に広がっています。

歴史上、人口過多は人口流出を生み、移民と開拓を推し進めてくる原動力となりました。現在の地球は、ほとんどの地域で開拓が頭打ちになり、海底や宇宙開発はコスト面で採算が立たず、人類はフロンティアを失って久しい状態です。しかし、人工知能がそれを可能にし、私たちに新しい世界と、新しい職業をもたらす。

 

希望的観測すぎるという批判は覚悟していますが、どうせ未来の話ですから、このくらいの風呂敷は広げたいものですし、3歳の息子が将来宇宙開拓者になっていると想像するのも楽しいものです。

 

 

小鉄が喜ぶ原鉄道模型博物館の「きかんしゃトーマス ウィンターギャラリー」

原鉄道模型博物館は、横浜駅から徒歩3分くらい、みなとみらい地区の外れにあります。

 

世界的な鉄道模型コレクター、原信太郎氏の鉄道模型コレクションがこれでもかと展示してあるほか、「いちばんてつもパーク」の大ジオラマは圧巻というほかありません。

大きいだけでなく、風景の1つ1つが細かく作りこまれていて、小鉄ならずとも惹きこまれてしまいます。

 

山や川、峡谷、海岸など自然の地形はもちろん、街並みと街路、人々の姿が本物の街以上にリアルに再現され、その間を精巧な鉄道模型が走り抜けていきます。

鉄道模型はミニチュアというには大きく、それだけに迫力があります。1番ゲージという、鉄道模型としてはもっとも大きな規格で作られ、さらにレールや車輪は、あえて加工しにくい「鉄」を原料に制作。そのせいで、列車が走る音「ゴトンゴトン」は、本物さながらの重量感をもって響いてきます。


原鉄道模型博物館201612

 

てつもパークの各所には、遊びゴコロあふれた隠しアイテムが配置されており、それらを見つける楽しみも。

 

スタッフの方がこっそり「水色の車の横の街灯の下にありますよ。」と教えてくれ、見つけることができた「幸せの黄色いタンポポ

 ロゼッタ型の葉っぱがリアル。

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 これもスタッフさんの解説にあった、「駅前で別れを惜しむ男女に、それを見守る雪だるま」

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 クリスマスのデコレーションを施された中央駅。

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 「きかんしゃトーマス ウィンターギャラリー」が2017年Ⅰ月9日まで開催中です。

館内には「トーマス」の原型になった機関車の模型も展示されていました。

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「トーマス ウィンターギャラリー」

www.hara-mrm.com

ビルの1回エントランスには、しゃべるトーマスツリーも。

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きかんしゃトーマス」は昔から愛され続ける幼児向けコンテンツの定番ですが、うちの幼児はいまいちハマり込むことはありませんでした。

というより、若干怖がっているような・・・。

それもそのはず、トーマス・シリーズは冷静に眺めてみると不気味な風貌をしていますから、むしろ正常な感受性を持っていることを喜ぶべきかもしれません。

 

ところが、原鉄道模型博物館の「いちばんてつもパーク」を走り回るトーマスたちは、不思議なことにまったく不気味さを感じさせませんでした。作り込まれた街並みに無理なく溶け込んで、楽しそうに走り回る姿がなんとも言えずコミカル。これが本来の姿なのかなと合点いたしました。

 

寒さが厳しさを増すこの時期、最高の鉄道模型にトーマスまで楽しめる博物館は、小鉄たちにとって最高の遊び場になるかと思います。

 

 

 

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3歳児のかんしゃくに父親はどう対処したらいいのか

できごと 

先日、3歳になる息子と公園に行った時のことです。

「オシッコ」となり、 「じゃあ」ということでトイレに連れて行くと、女子トイレを指差し、「あっちに行きたい」とのこと。

母親と公園に来るときは女子トイレなんですよね。

気持ちは分かるけど、パパと来たときはこっち(男子トイレ)ね。と諭しても、あっちに行きたいの、の一点張り。

 

これは困ったな、と思いつつ、いろいろ言葉を尽くして説得しようと試みます。

「パパは女の子トイレに入れないんだよ。」

「パパが女の子トイレに入ったら、お巡りさんに捕まっちゃうよ」

「お巡りさんに捕まったらパパに会えなくなっちゃうよ」

「男の子トイレのほうが立ってオシッコできるよ。」

などなど。しかし言葉を重ねれば重ねるほど息子の興奮はヒートアップし、泣きわめきながら腕を引っ張る始末でした。

休日の公園には家族づれが多く、泣き叫ぶ3歳児と困惑で立ち尽くす父親の姿を苦笑いしながら通過していきます。

 

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かんしゃくを起こすわけ 

 

自分と違う性別のトイレに行きたがられちゃったよ事件」を経験されている親御さんは、実は結構多いのではないかと思います。

このくらいの年齢になると、自我が発達してきますので「ああしたいこうしたい」と強烈に主張しますし、その割に大した根拠がなく、大抵はたまたま目に入って気に入っちゃったからであるにすぎないわけです。

たまたまでもなんでも、親はどちらかのトイレにしか入れないのですが、その理由は子供には理解できないことなのです。

息子の場合も、いつも母親と行っている女子トイレになんとなく向かっていったところ、「そっちじゃない」と言われて訳が分からなくなったというのが実情です。

そこで、「お巡りさんがうんぬん」とか言われても全く関連性が分からないことなのです。

 

もちろん子供のかんしゃくは収まるどころかエスカレートし続け、涙と鼻水がとめどなく流れ落ちる一方でした。

とりあえず思いついたことと言えば、「ママに電話してみよう」ということでした。脇のベンチに座らせ、ムービー電話で母親と話させると、ひとまず落ち着いたようで、意味のある会話がやっとできるようになります。

 

「どうしたの?」

「あっちのトイレに行きたいの」

「そうかー、でもパパは入れないんだよね」

「ママ来てー」

 

てな具合で、女子トイレに入りたいという3歳児のピュアな欲求のため、約1キロ離れた公園まで呼び出されるはめに陥った嫁。

 結局、息子はそれ以降おとなしく待ち続け、めでたく母親と一緒に女子トイレで用を足し、宿願を叶えたのでした。

 

 ひとまず一件落着とはいえ、子供のかんしゃくを押し通してしまったことに変わりはなく、「これで良かったのかな」という感覚が残ります。

どう対処していたら良かったでしょうか。

 

正しい対処法とは

maternity-march.jp

 

「マーチ」さんの教えでは、

1.まずはぎゅっと抱きしめ、気持ちを受け止める。

2.子供の気持ちを代弁してあげる。

3.かんしゃくを起こした対象から遠ざけ、冷静さを取り戻す

4.かんしゃくのパターンを親側がつかみ、成長のきっかけにする

 5.かんしゃくを起こしやすいのは、糖分の多い食生活のせいかもしれず、バランスのよい食事を心がけるべき

  

たしかに、上のどれ一つ取ってもできていませんでした。悩める幼児としては、これは爆発するしかない状況だったのでしょう。

 

「言っていることを認める」は、試行錯誤の末に「とりあえずママに電話」でフラグが立ったと言えます。だから落ち着いたのでしょうか。

ですが、「子供の気持ちを代弁」が無かったのがいけなかったのかもしれません。ただ、3番の「かんしゃくの対象を遠ざける」は、この場合非常に難しい選択でした。なぜなら子供は尿意を訴えており、トイレそのものから遠ざかることは別次元の破局的展開を招いた可能性があり、そうなった場合の子供の感情的カオスは極致に達していたことでしょう。結果として、母親がおっとり刀で1キロの道のりを走破してくるほどの時間を我慢し通したわけですが、それは後付けの結論でしかありません。

 

 もしあのまま母親を呼ばないという選択をしたとしたら、どういった具体的対処法があったでしょうか。

まずは上のマーチさんの教えにあるように、感情を受け止め、さらにそれを代弁してやるということでしょうか。

その上で、あえてトイレから遠ざける。たとえば「お菓子を買いに行こう」とかで関心の矛先を逸らし、落ち着いてきたら、どこか他のトイレに連れて行く、という作戦が浮かびます。

いずれにしても、トイレの前に居続けるのは愚策ということが分かりました。

 

ちなみに、「糖分の多い食生活」は、ばっちり完全にうちの子供に当てはまります。甘いものに目がなく、できる限り制限してはいますが、それでも菓子、果物の摂取量はそれなりに増えていきます。なにしろ本人のガッつき方が他の食品の比ではないので。

さすがに糖質制限とまではいきませんがら食事のバランスは大切だと肝に銘じておきます。

 

 

公園のテントは邪魔だとあえて言わせていただきたい

公園のテントに衝撃を受けたいきさつ

 

人間は人生で3回、公園にお世話になります。

 一つは子供の頃。もう一つは親になって子供を遊ばせる時。もう一つは孫を遊ばせる時。

それぞれの時期は相応に離れているため、久しぶりに公園を訪れた時に、カルチャーショックじみた印象を受けることがあります。

私にとって、それは「テント」でした。

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キャンプ場でも登山でもないのに、なぜ こんなにもテントが群がっているのか。

自分の子供の頃は、テントといえば非日常の証。普段は触れられない大自然の懐に抱かれたときに、唯一の「文明の前線基地」として設置するものでした。

それが、日常バリバリの空間「公園」に大量出没するのはなぜか。

奇異と驚嘆の目で眺めてみるに、どのテントもかなりお手軽な構造をしていることがわかりました。昔のように、苦労して杭を打ち、ロープを張り、数人がかりでシートをああだこうだする必要はなく、ポンとワンタッチで見事に立体的なテントが繰り出せる。

 

「ポップアップテント」が世に現れたのはそれほど過去のことではなさそうです。

 

 

travelers.blog.jp

 

あえてする公園テント反対説

 

公園などという日常的な空間にテントが進出したきっかけとして、ポップアップのような手軽で便利なものが出回ったことは大きかったのでしょう。

確かに、テントの効用は大きいと思います。

子供を遊ばせるにしても、ずっと付き添っているのは疲れるし、どこかで休みたい。

どうせなら、日除けがある場所がいいし、周囲の視線をカットできてある程度の暑さ寒さをしのげるほうがいい。

そんな時はテントがあれば一息つけます。荷物だって置けますし。

 

でも、そこをあえて言わせていただきたい。

公園のど真ん中のスペースをテントで占有されたら、子供が遊ぶ場所がなくなってしまいますと。

例えば上の写真でいうと、テント群は芝生広場の一番いい場所に陣取ってるわけです。

こういうのは、誰かが一つ設置すると、なんとなく「テント張っていい場所」的な空気が一気に高まって、爆発的にテントが広がるものです。花火大会などで時折見るゴミの山みたいなもので、いわゆる「割れ窓理論」というやつです。

psychology-japan.com

 

そうなると、残されるのは斜面や地面のコンディションが悪い場所で、当然ながら遊ぶのにも適していません。公園で子供が走り回って遊ぶのに、テントを避けながら遊ばなきゃいけないというのはどう考えてもおかしいと思うんです。

 

公園テントの功罪

公園というのは、住宅街の小公園から大きな芝生の広場がある都市公園まで千差万別ですが、テント群の進出が著しいのは割と大型の公園の方です。

 

そういう公園は割と遠方からやってくる家族連れが多いので、休日になると混雑が著しく、村と言ってしまえるくらいの大規模なテント群が出現してしまいます。

 

・日差しや風をある程度防ぎ、家族が休め、食事をする場所が確保できる。

・荷物の置き場所が確保できる。

・家族が散り散りになっても集合場所として機能できる。

・親や祖父母のような、あまり動かない人が過ごす場所が確保できる。

 

以上が、公園にテントを持っていく利点でありましょう。

 

けれど、そこは公園です。

季節にもよりますが、広々として気持ちがよく、体を伸ばして運動するのに適した場所です。そんなところでわざわざテントなどに篭らずに、散歩するなり子供と遊ぶなりしたほうが、よほど有意義な過ごし方ではないでしょうか。

 

日本人は得てして内向きで、仲間内だけで完結してしまう傾向があります。「車座集会」というやつで、「ウチ」と「ソト」を峻別し、「ソト」に対して関心を抱きにくい社会です。公園のテントは、まさにそういう日本人の傾向を体現しているように見えるのです。

しかし子供はまだそういう習慣には染まっていません。難民キャンプみたいなテント群に、あまり親しまないでほしいなあとひとしきり思った休日でした。

 

権力者の本性は顔の「横幅」で分かる

男の顔の「横幅」を見ると何が分かるのか

 

今回も、橘玲氏の「言ってはいけない」からネタをいただきます。

 

上の画像クリックでアマゾンのページに飛びます。

注目したのは、以下の記述。

 

母親の胎内で高濃度のテストステロンに曝された男性は顔の幅が広くなる。こうした男性は成人後もテストステロン値が高く、攻撃的・暴力的な傾向が強い。これは別のいいかたをすれば、冒険心に富み、競争で勝つことに執着するリーダータイプのことだ。

 

テストステロン値が高いと、顔の幅が広くなるとすれば、逆に、顔の幅が広いほど男性的だということで、引用にあるような「攻撃的・暴力的・冒険的・競争好み」の、絵に描いたような権力者タイプになるのです。

 

この記述が100パーセントどんな例にも適用できるかどうかはさておき、直近ですぐにぴんとくる人物は、もちろんこの人ですよね。

 「トランプ次期大統領」の顔は?

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ドナルド・トランプ次期アメリカ合衆国大統領

 今後の世界の行く末を担うもっとも重要な人物となる人です。

この人については、本によって評価が全く異なるため、読めば読むほど「読めない」状態に陥っていきます。

ちなみに上に挙げた本によると、トランプ氏は天性の嘘つきで自分に注目が集まることを好み、悪評でもなんでも常に自分が物事の中心にいないと気が済まない人物だそうで、典型的なテストステロン高濃度人だと言えそうです。

 

トランプ氏の写真の中から、なるべく正面を向いたものを選び、オバマ現大統領と比較してみました。

顔の横幅は頬骨の端から端まで。縦幅は顎の先端から頭頂部と見えるあたりまで。

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まあ、言わずもがなですが、違いは明らかですね。

オバマ氏は知性的なイメージのリーダーですから、その違いは見た目にもくっきり現れています。

 

トランプ次期大統領の若い頃からの顔の変遷

 

では次に、同じトランプ氏でも若い頃からの顔の変遷を見てみます。

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 若い頃はイケメン大富豪だったトランプ氏。40代のころまでの縦横比は1:1.66〜1.68で、上のオバマ氏と大差はありません。ずっと細面で、今のような暴言を吐きまくる人物には見えません。

 

けれどそれは見た目だけのことで、例えば1番右の10代の頃は、ヤンチャで手をつけられない乱暴者だったため、両親に軍隊教育を行う学校に入学させられました。

つまり性格は昔からほとんど変わっておらず、その間ずっと高濃度テストステロンを分泌し続け、その結果今の横幅になったのだと推測できます。

だとしたらおそるべきテストステロンです。

 

ちなみに・・・

 

もうひとり、世界には暴言で知られるリーダーがいます。その人物はどうでしょう。

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僅差ですが、ドゥテルテ大統領の勝利。

この人のエラの張り方は半端ないですね。

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過剰労働は「お客様は神様」意識のせいか

長時間労働の原因は「お客様」の暴走だ

 日本の過剰なサービスが長時間、過剰労働を助長しているという、最近よく目にする論調です。

 

日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準toyokeizai.net

電通の事件をきっかけに広まり続ける、旧来の働き方に対する批判。残業を強制的に制限する仕組みを作ったり、罰則を強化したりする取り組みもよくニュースで目にします。なくなった女性には申し訳ないけれど、この衝撃のおかげで私たちの働き方に対する意識が変わり始めるのだろうか、という期待が持てる事も確かです。

 

ブラック企業大賞ノミネートから

blackcorpaward.blogspot.jp

今年の「ブラック企業大賞」ノミネートも発表されましたね。

これが年末の風物詩のひとつのような様相を呈してきているあたり、現代社会がある種の末期症状をしめしていることの証拠のように感じられます。

「選定理由」を見ると、「ブラック」だと言えるための条件はもちろん長時間労働だけではありません。残業ももちろんですが、殺伐とした職場、同僚に対して理解をしようとしない風潮や、過酷な業績への要求が二重三重に積み重なって、ついには犠牲者をだしてしまったのです。

 

たとえば、私の働いている職場なんかは、上のノミネート企業に比べれば生ぬるくて申し訳ないくらいなんですが、それでも時期によってはかなりの残業や休出を余儀なくされることはあります。

単純に仕事量の問題なのかといえば、それだけでもない。忙しい自慢や連勤自慢が多い上司がいたりすると、それだけで帰りにくい雰囲気が支配する感じがします。

 

では、今回の記事「客側のお客様意識」がどれだけ過剰労働に影響しているでしょうか。

私は、お客さんがどうかと言うよりも、店側とか企業側に「お客を恐れる心理」が非常に大きいほうが問題なのではないかと思います。

 

過剰労働は、客の意識の問題だけでは、もちろんない

私は以前、「お客様意識」についてこのような記事を書いたことがありました。

 

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 この記事は、今読むと、客側の問題というよりも、「いつでもたっぷり新鮮な寿司を回しておかねば客が怒る」という店側の意識から来ているのだと取ることもできます。

 

橘玲氏の「言ってはいけない」は、数多くの興味深い話がエビデンスてんこ盛りで語られているので、非常に面白くまたネタ本にぴったりです。

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

 

この本のなかで、「セロトニントランスポーター遺伝子」について書かれた一節があります。

セロトニン」とは神経伝達物質の一つです。脳は神経細胞の集積体で、様々な神経伝達物質がその間を行き来して情報を運んでいるわけですが、セロトニンの分泌が多ければ多いほど「幸福感」や「楽観的な気分」を感じやすくなるそうです。

そのセロトニンの分泌を司っているのが「セロトニントランスポーター遺伝子」で、これには「SS」と「SL」と「LL」の3つの型があります。「LL」がもっともセロトニンの分泌が多く、「SS」がもっとも少ない。

日本人に多いのはどの型だと思いますか?

それは、「SS」だそうです。つまり、セロトニンの分泌がもっとも少ない。ということは、「不安感」「悲観的な気分」を感じやすい国民性だということがわかります。

 

もちろん、「不安感」や「悲観的な考え方」があれば、将来に備えて対策を取ろうとしますし、それが日本人の堅実さや貯蓄への熱心さなどに現れているのでしょう。

もう一つ、それは「お客さんが怒ったらどうしよう」という不安感も、他の国に比べたら多いのではないでしょうか。

コンビニなんかで列に並ぶと、店員さんはそれはもう可哀想なくらいに急いでレジを回してくれます。そういう光景を見ると、初めは「ああ、そんなに焦らなくてもいいのに」と思いますが、やがてそれにも慣れてきてしまい、「自分のために汗を流して対応してくれる」のが当然だと思ってしまう。

そういうサイクルが、「お客様は神様」という、世界に類のない「おもてなし文化」を生んだのではないでしょうか。

 

過剰労働の話に戻りますが、では、そんな日本でこの手の過剰労働を防ぐにはどうしたらいいか。

今回の記事のように、「外国のあり方を見習え」というのは少し乱暴すぎることは確かです。もともと国民性や生活様式が違います。思えばなんと可憐な国民かと思ってしまいます。それはさておき、もてなされることに感謝しながら、それを当然だと思わないためには、「ありがとう」を必ず言う習慣をつけるしかないのではないでしょうか。

私たちは時にサービスを提供する側となり、時にサービスを受ける側となる。一つ一つのサービスが、「有り難い」ほどの心をつくしてなされるものなのだから。