奴雁
7/13読売新聞より
福沢諭吉の記事の引用があった。
語に曰く、学者は国の土雁なりと。土雁とは、群雁野に在りて餌をついばむとき、その内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺い、不意の難に番をするものあり、之を土雁という。
学者もまたかくのごとし。天下の人、夢中になりて、時勢と共に変遷するその中に、独り前後を顧み、今世の有様に注意して、以て後日の得失を論ずるものなり。故に学者の議論は現在その時に当たっては功用少なく、多くは後日の利害に関わるものなり。
「学問を修得したものは、土雁のように時流に流されず、大局から世の中を見据えて議論すべきであるという意」
新聞は、安倍首相がツイッターやフェイスブックで寄せられる一般からの意見に一つ一つ反論することに対する違和感の根拠として、この引用を挙げている。
学者に限らず、政治家もまた、時勢や一過性の流行にながされず、遥か未来を見据えて大局的な視点に立つべきである。そう主張している。
スティーブ・ジョブズも同じような事を言っていた。
「人は自分がどんなものを欲しいのか知らない」
すでにあるものに対する意見を色々と言うことはできるが、世の中にないモノを考え出すことは、素人にはできない。
将来に明確なビジョンを描き、それを実現するための知識と努力を持つ個人がいてこそ、新しいものは生み出される。そう、発明は常に個人の力によるものだったはず。
ならば政治やリーダーシップにも同じことが言える。人の意見を全く聞かないのもどうかとは思うが、耳は傾けつつ自分の信念を追求しつづけてこそ、何かを実現できるのかもしれない。