空論オンザデスク

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男はいつになったら父親になったことを自覚するのか【その2】

前回の記事

男はいつになったら父親になったことを自覚するのか【前編】

 

仕事は、結局昼間で早退させてもらうことになった。

自分の仕事場は、基本的に管理者が一人いなければならず、学生のスタッフはいるものの彼らに営業のすべてを任せるわけにはいかないから、本部から来てくれる応援を待たなければならなかった。

さっきまでのほほんと普段どおり仕事をしていた自分がうそのようで、いてもたってもいられなかった。ふわふわした感覚のまま、午前中の業務を危なっかしく遂行した。

数分おきに時計を見る時間が続いた。そして、本部からの応援スタッフが到着したときには、すでに足が南に向かっていた。

僕はもつれる舌で感謝の意をどうにか伝え、職場を飛び出した。この会社に勤めていて本当に良かったと思えた。

 

息せき切って病院に着くと、妻は朝と変わらぬ暢気な面持ちで食事を取っていた。病院食にしては少し豪華な魚の塩焼きがついた定食を、ゆっくりつまみながら、大きく張り出したお腹をさすっていた。顔色はよく、痛みもまだないようだった。

ただ、破水から始まったため、お腹の中の羊水が足りず、長時間このままでいることは危険であるため、陣痛促進剤を入れてお産を早める方針になったと告げた。

妻の友人には先輩ママたちが何人もおり、陣痛促進剤の痛さについては繰り返し聞いていたため、不安そうな表情を見せた。

このまま自然な陣痛を待ったほうがいいんじゃないかな、とも言った。

僕は、主治医の先生の言うことを聞いたほうが良い、耳学問があったとしてもわれわれは結局素人なんだから、という意味のことを良い、背中をさすったり冗談を言ったりして落ち着かせようとした。

 

ただ、早ければその日の夜にお産になるし、遅くとも翌日の明け方だと聞かされ、僕はいったん家に戻ることにした。自分の着替えと、妻の身の回り品を取りに行くためで、当日は病院での泊りになると思った。

自分を落ち着かせるために、熱いコーヒーを入れてベランダに腰こしかけた。

その日は割りと穏やかな天候で、猛暑というのには程遠かったが、それにしても汗をかいた。

洗濯を済ませ、荷物を準備して病院に戻った。

病室のドアを開けると、昼間とは空気が一変していた。点滴のぶら下がった妻は青い顔をして、額には汗が浮かび、明らかに痛みに耐えていた。

僕は落ち着いたふりをして妻のそばに座り、様子を聞いた。

しばらく前から断続的に痛みが来ているとのことだった。陣痛だった。

点滴は陣痛促進剤だった。そういえば妻は薬の効きやすい体質なのだった。

痛みには波があって、妻のお腹につながったモニタの示す子宮の収縮パターンと一致していた。初めは数十分おきだったのが、いまでは数分おきだという。痛みに耐えているときは顔をうつむき、両手でシーツを握り締め、ぐっと小さくなってまるで本物の波に押し流されないように踏ん張っているかのようだった。

陣痛の間隔があっという間に縮んだ。聞いていたよりもぜんぜん早いペースだった。そうこうしている間にそれが1分おきになり、そしてほぼ切れ目なくやってくるようになったようだった。

翌日の明け方になるかもしれないと言われていたお産は、どんどん時間が繰り上がり、夕方6時には分娩室に入った。車椅子に乗り移るときも脂汗をたらしながらだったが、勇敢に運ばれていく姿を後ろから見送った。立会いはしないと決めていたので、僕は分娩室の前の廊下に陣取って待つことにした。

長いようで短い待ち時間だった。

その時間、分娩室には僕の妻しかおらず、そこに出入りする看護師さんや助産師さんは僕を見ては「もう少しですよ」とか「もう子宮口が全開ですよ」とか報告してくれた。実況中継を聞いているようで退屈しなかった。

分娩室の隣は新生児室で、窓の向こうに生まれたばかりの赤ん坊が何人か寝かされていた。僕の隣にいたのは、その日の朝生まれたという赤ちゃんの祖母に当たる人だった。その人は穏やかな顔で嬰児の顔を眺めて「かわいい、かわいい」と繰り返しため息をついていた。確かに、赤ん坊の穏やかな、無垢な寝顔にはそれだけ、目をひきつける力があるようだった。「あなたの子ももうすぐ生まれるんですね。楽しみですね」と言ってくれ、新生児室の閉室時間とともに帰って行った。

周囲にだれもいなくなり、分娩室の方向からは不思議な静寂が伝わる。本当にあそこで妻の戦いが行われているのだろうか。あとは待つだけだった。

 

次に続きます。