夫婦というものを考える ~なぜ顔が似てくるのか~
暑くもなく寒くもなく、日差しが適度にあって風は心地よく吹き、そんな一日だったので、しかも都合の良いことに仕事が休みだったので、家族連れ立って出かけることにした。
目的地は、六本木。子育て中かつ、生後8ヶ月のアカンボを抱っこして訪れるのに似つかわしい場所ではないのであろうが、嫁がかつて勤めていたところに挨拶に行きたいということもあり、この国際的夜の街にベビーカーをがらがらと押しつつ訪問することになった。
本当に、ベビーカーを押していると街の勝手が一変する。これまで大して注意を払わなかった駅のエレベーターの位置や、街中の段差、ちょっとした階段などがやたら大きな障害物となって立ちはだかるのを発見する。
六本木の街は、うねりながら横たわる丘陵地の、細い尾根の上に連なっているようで、通りの脇からは趣のある下り坂がいくつも伸びているのが見える。岡の上たる表の町は、大使館や高級マンションが林立するパブリックな顔。下り坂の先にはこまごまと寄せ集まった下町っぽい風情が垣間見える。
以上のことは東京「スリバチ」地形散歩に詳しいのでよかったらどうぞ。
地形図を眺めてよだれをたらせる人だったらとても楽しめる本だと思います。
嫁の旧職場では、忙しいさなかなのに、のんきな休日家族の体でやってきたのんきな旧職員を歓待してくれ、丸々と太ったわが息子をちやほやしてくれた。
その中で第一声、言われたのが「三人とも顔が似ている」だった。
はて、嫁と息子は誰が見てもそっくりだと思うし、現にいたるところで言われているが、私と嫁、私と息子はあまりそういうくくりにならない。三人共とは初めてのカテゴライズであった。
帰りのどこかのエレベーターで、鏡があったので試しに二人で並んでみた。
いやいやそんなに似てないよ、と照れ笑いしたら、目の下のしわの寄り方がまったく同じであった。それはもう不気味なほど。
なるほど。自分も所帯じみてきたものだ。
こういう似方なら、それはそれでありだと思う。毎日お互いの笑い顔を見て暮らしているのだから、知らず知らず表情筋の使い方が同じになっていくのだ。
そういえば、息子はまだほんのアカンボながら独特の笑い方をする。
鼻に思い切りしわを寄せて、鼻息を勢いよく吐き出しながら「ふー、ふー。」と笑うのだ。そのうち親も同じようになっていくのだろうか。