空論オンザデスク

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ハンナ・アレントを読む(2)

概説書におんぶに抱っこで読み解く現代の思想シリーズ。「ハンナ・アレント」第2章

 

全体主義の登場と破局の20世紀

無国籍者の出現と人権の危機

国民国家は、「Nation State(ネーションステート)」である。ネーションとは、国民とも民族とも訳される難しい言葉で、両者は時に一致し時に違う者を意味する。「国民」とは、その国の領域に住み、その国の法に服し法の庇護を受ける者だろうし、時にひとつの国民がひとつの民族を指すこともあろう。民族とは、同じ文化を共有する人々の集団である。宗教、言語、生活習慣、あるいは皮膚の色。しかしその分類は誰の主観によるものかで大きく異なる。日本人は単一民族であるという主張も、日本は数多くの少数民族をかかえる多民族国家であるという主張もありえ、どちらが正しいとは言い切れない。その国の「主要な」民族というものが伝統的に存在する場合もあるし、「少数民族」が恣意的に作り上げられる場合もありうる。
国家という領域と民族という集団が結びついた時、そこから外れる人々はどうなるのか。自国を構成する民族ではないと宣告された人々は、自分が為したことではなく自分の生まれによって、国籍を奪われ故郷から「追放」される。そういう難民、もしくは「無国籍者」が大量に生み出される。それらの人々が外国に流れ込んだ場合、その先も国民国家であれば、やはり特定の民族の国家なのであり、その国が保護する対象もその民族に他ならない。一度無国籍者の烙印を押された者は、どこに行っても二度と国の保護を受けられず、従って故郷を手にいれることはできず、だから人権が守られることはない。人権とは、「全ての人間が生まれながらに持つ権利である」と憲法に書いてあるし、それが当然だという共通認識が我々にはある。しかし実は、国家という組織は当然ながらその構成員を保護するのが任務であり、そうではない者まで手が回らない。ある種の人権は、それが全てとは言わないが、ただ人間であるだけでは保障されないのだ。それが現実として顕在化してしまったのがこの時代だと言える。
 
このような多様な矛盾を内に抱え、一方で旧来の階級社会が解体され不安定化していく中で、人々が拠り所にしたのが「汎民族運動」である。モザイク状に国家が入り乱れる中央、東ヨーロッパでは、民族の分布と国境線が必ずしも一致しない。ドイツ(ゲルマン)系はドイツだけでなく、オーストリアを初め中東欧全体に散らばっているし、スラブ系民族にしてもロシア語圏だけに広がっている訳ではない。汎民族運動とは、歴史上の自民族の栄光に根拠を求め、今のあの国も、あの地域も、元は自分達の土地なのだから取り戻すべきだとする運動である。それは、ややもすれば根拠の薄弱な神話の領域なのだが、それを拠り所として運動が盛り上がっていくと、強固なイデオロギーと化す。

全体主義イデオロギー

これらのイデオロギーが行き着いたところが全体主義運動である。汎民族運動が全ての大衆を取り込み、終わりなき運動のエネルギーに人々を巻き込むようになると、その動きには歯止めが利かず、内部と外部を果てしなく不安定化させていく。我が民族は、今でこそ苦難の時代だが、本来は神に選ばれた民族であり、世界を支配すべく定められたのである。だから、国民は全てこの神聖な任務を全うすべく身を投じなければならない。ということだ。

全体主義とプロパガンダ

全体主義は、内部を恐怖によって固めていくとともに、繰り返されるプロパガンダによって外部を取り込んでいく。体制の賛美、他国への敵意の醸成、巧みにコントロールされた宣伝によって大衆化された人々は容易に巻き込まれていく。
「大衆は目に見える世界の現実を信じず、自分たちのコントロール可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それゆえに彼らにはある種の想像力が発達していて、いかにも万物に当てはまる意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。・・・中略・・・大衆を動かし得るのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえあげた統一的体系の首尾一貫性だけである。あらゆるプロパガンダにおいて繰り返しということがあれほど効果的な要素となっているのは、・・・中略・・・単に論理的な完結性しか持たぬ体系に繰り返しが時間的な普遍性、首尾一貫性を与えてくれるからである。」
アレントによる批評は、辛辣この上ないものながら、一つの真実を余すことなく包括している。
全体主義は、その支配を続けるために絶え間なく不安定さを生んでいかねばならない。自己の主張するプロパガンダの嘘が見破られないよう、常に敵を作り、それらを常に抹殺し続けなければならない。先ほど言及した追放され続ける人々にしても同様である。そうして、「国家」、「秘密警察」、「強制収容所」の三つの組織が有機的に結合して不可分となり、永続的な「闘争」を推し進めていくことになる。

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