空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

「イリュージョン」リチャード・バック

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)

文句なくこの1冊。

リチャード・バック 「イリュージョン」

頭の中に溜まった垢を全部擦り落としてくれる、いわば脳内お掃除屋。

読むと、自分がどれだけ多くの偏見や固定観念に縛られているか、自分の目がどれだけ曇っていたのかが分かる。自分の上にのしかかっている重圧、責任、義務、立場や体面とか体裁とか世間体とか、いつでも、自分が望みさえすれば自由になることができる。そういうことを教えてくれる物語。

 

始まりはとある救世主のエピソードから。

インディアナの自動車工だったその人は奇跡を起こせる救世主だった。

人々は彼に従い救いを求めた。かれはよくそれに応えたが、自分のあり方、人々のありかたに疑問をもっていた。そしてある時、小高い丘の上に登り、自分を慕う人々に向かって語りかけた。

私たちは皆神の子であり、皆自由に自分の好きなことをしていい、そうするべきだ、と。

しかし人々はこう言う。「いいえ救世主様。私たちのような普通の人間は救世主様のように奇跡を起こせるわけではなく、現実の厳しさに苦しんでいるのです。どうかお救いください。」

すると救世主はあるたとえ話を始めた。救世主というのはたとえ話を好むのだ。

「ある川にある魚たちが住んでいた。彼らはみな川の流れに逆らって日々懸命になって泳ぎ、今いる場所にしがみついていた。ある時、一匹の魚がこう言った。『おれはもうこんな退屈な生活は嫌だ。流れに逆らって泳ぐのをやめるよ。どうなるかわからないけれど、川の流れは優しいし、ここではないどこか違う世界に連れて行ってくれるはずだ。』他の魚たちは信じられないという顔で彼を見る。『あいつは頭がおかしくなってしまったんだ。泳ぐのをやめたりしたらすぐに岩に頭をぶつけて死ぬだけさ。』しかし、彼は退屈で仕方なかったから、思い切って泳ぐのをやめた。すると、川の流れは彼をさらってどこまでも流して行ってしまった。けれども、頭を打って死んだりせず、彼は流れに乗ってすいすいと泳いで行った。他の魚たちから見れば、信じられないスピードで通り過ぎる彼の姿は奇跡にしか見えず、彼を救世主と呼んだ。『救世主様、我らをお救いください』かれはこう答えた。『みんなも流れにのってしまえばいいんだ。俺たちは自由だ。』しかし彼のいうことに耳を貸す魚はおらず、ただ救世主の伝説だけが残った。」

たとえ話は示唆に富んだものだったが、救いを求める群衆はそれを深く考えようとしなかった。「救世主様。神の御意志を得られるなら地獄の責め苦でさえ耐えられます。」

すると青年は言う。「では、神が『これからもずっと幸せに生きることを命ずる』と言ったらどうしますか。」

騒がしかった周囲は急に静かになり、だれも応えるものはいなかった。

救世主の青年は続ける。「私たちはみな自由です。だから私は救世主をやめます。皆さんも自由に生きてください。」そして彼は丘を下っていく。さっきまで救世主だった青年は、群衆の中に混ざるともう他の人々と見分けがつかなくなっていた。

 

こういうエピソードで始まるストーリーは、このもと救世主の青年、ドナルド・シモダが、さすらいのヒコーキ乗りに身をやつし、全国を旅して回るうちにもう一人のヒコーキ乗りに出会い、救世主になるためのレクチャーをしていく、という展開になる。

不思議な小説のようであり、挿話に富んだ哲学書のようでもあり、神話のようでもあるこの「イリュージョン」は、しかし大したページ数もなくあっさりと読めてしまう分量である。けれども一つ一つの章で語られる言葉にいちいち目を開かされる。文字は少なく、言葉の使い回しもシンプルで、童話のように簡単でありながら奥深い。決して押しつけがましい道徳話のようなものではなく、自分の行動に落とし込んで考えることができる広がりを持った小説であると思う。