葉隠入門は、現代サラリーマンの指針の書となるか
死ぬことと見つけたり
山本常朝と葉隠
「葉隠」とは、江戸期前期に佐賀鍋島の藩主、鍋島直茂に仕えた山本常朝の思想をまとめたものである。しかしながらこれは座談の口述筆記という形で書かれたもので、語ったのは山本常朝、書いたのは常朝より若い佐賀藩士田代陣基という人物だ。家柄も良く高潔で、将来の家老と嘱望された山本常朝だったが、主君の死によってその道が断たれる。主君の後を追って自らの命を絶つ殉死を願ったが、それを禁じる厳命が下されたため叶わず、出家して山中に隠居し、61歳で死んだ。
名言集を改めて見てみると、「葉隠」に通じるものが多い。原作者の隆慶一郎氏にもあるいは葉隠に造詣があったのかもしれない。
葉隠は、基本的に口述筆記であり、座談の中で生み出された言葉である。だから、全体的に精緻な論理が組まれているわけではない。「酒はほどほどにして酒席では間違ってもみっともない姿を晒すな。」とか、「日頃から身だしなみには気をくばれ。」などなど、およそ「口うるさい爺さんの小言」とも言えるような言葉が連なっているところもある。それは、小言だと思って聞き流してしまえばそれだけのものだということだろう。耳を傾け言葉の意味を深く噛みしめるものだけに通じるメッセージが込められているという点では、論語とも通じるかもしれない。
山本常朝が生きた時代は、いわゆる元和偃武を経て、戦国から江戸期へ、戦乱の時代から太平の時代へと移り変わった第一世代の最後の生き残りだ。当然、前半生を共にした大人たちは、戦国の疾風の中を生き抜いた猛者たちが武士道と共に生きていた時代であり、後半生はもはや官僚的な慣例主義が幅を利かせる時代となっていた。そういう時代の移り変わりにあって、清々しい生き方を追求した常朝は生きにくかっただろう。
三島由紀夫もまた、生涯の中途にあって終戦を迎え、戦いと勇気を賛美する時代から平和と協調を重んじる時代への変化を目の当たりにし、飲み下せない違和感を感じ続けた人だった。
日本にはもはや武士はなく、戦争もなく、経済は復興し、太平ムードはみなぎり、青年たちは退屈していた。・・・(中略)現代には、「葉隠」というあの厳しい本の背後に広がっていたその本の内容とは反対の世相、いかなる時代にも、日本人が太平の世に対して示す反応と同じ反応が広がっていた。
今に生きる葉隠の精神
以上のことから、「葉隠」及び「葉隠入門」は、現代サラリーマンの指針の書にふさわしいだろうか。この平和な世の中に慣れきった私たちからすれば、葉隠が教え示している生き方を実践することはいかにも難しいことだ。死は、今の世にあっては最も遠いものであり、それはただ病院と斎場の横を通り過ぎる時に他人事として意識するだけのものに過ぎない。現代では、人の命は最も重いが、同時に人の死は軽い。死を生涯の伴侶のように、常に隣にあるものとして意識することは実際にはできない。「死ぬ気でやれ」という言葉はそこらじゅうで交わされているものの、本当に「死ぬ気」になることとはどういうことか分かっている者は誰もいない。ただ、葉隠に示されている精神の気配のようなものは、先人の残した生き方として感じ取ることはできるだろう。その中で、ビジネスに通じる哲学を抽出できるかもしれない。