胃の腑をえぐるような言葉に出会いたければ「夜露死苦現代詩」を読め
ちくま文庫ってご存知でしょうか。
ヨロシク現代詩とはどんな本か
コンビニの前にしゃがんでいる子供が、いま何を考えているかといえば、「韻を踏んだかっこいいフレーズ」だ。60年代の子供がみんなエレキギターに夢中だったように、現代の子供にはヒップホップが必修である。だれも聞いたことがない、オリジナルな言葉のつながりを探して、「苦吟」するガキが、いま日本中にあふれている。国語の授業なんてさぼったままで。
「現代詩」というジャンルは、文芸界で言えばもはや死んだも同然かもしれない。しかしプロの詩人や評論家や学者たちが狭い業界に閉じこもってああでもないこうでもないと言っている間に、ストリートには新しい言葉が次々と生み出されている。
これまでの常識では、「詩」だとはとても認められない言葉たち。人生の苦しみのなかで、だれもが己の一切を表現しきる言葉を探しては吐き出している。それが詩だなどとは思いもせずに。筆者はそういう路上に無造作に垂れ流される言葉たちに目を向け、愛を注ぐことで「詩」というものの可能性を広げようとしている。
詩なんて良くわからない、という大多数の人に、実はあなただって毎日詩を紡いでいるのですよ、と気づかせてくれる本だ。
本書は一つ一つの章にそれぞれ別の世界が充てられているアンソロジー形式をとる。そのなかで、特に胃の腑をえぐられるような印象を受けた章を紹介したい。
第1章 痴呆系 あるいは〜について
※「痴呆 」という単語は現在社会的に使うことを不適切としていますが、ここでは原書のタイトルを尊重するためそのまま載せています。この後の下りでは引用でない限り置き換えて表現します。
老人病院に勤務する看護助手をしている人が、認知症に苦しむ老人たちの言葉を書き留めた本を、筆者が紹介したもの。
なんの脈絡もない単語どうしの組み合わせが、深い意図をこめられてかそれとも偶然の一致か、激しいインパクトと恐ろしいほどのリアリティをもった詩に変貌する。ベッドに横たわり、正気を失った目でなされるがままに下の世話をされながら、唐突にボソリとつぶやいた言葉だそうである。その意味も心情も測りかねるものの、ちょっとつつけば血が噴き出してきそうなほどの生々しさに満ちている。
目から草が生えても人生ってもんだろ
どういう文脈で登場したくだりなのだろうか。文脈などないのかもしれない。とにかくイメージ喚起力が凄まじいフレーズだ。この短い言葉一つから壮大な物語がいくつも作れそうだ。
力士が!力士が、なぜどこまで力士がやってくる
思わず噴き出さないではいられない。それはこっちが訊きたいよと突っ込みたくなる。
いつだって7人か9人の殺し屋が狙ったまま
窓の向こうで御無沙汰地獄してるんです
自分が命を狙われているという意味だとはわかるが、「御無沙汰地獄」がおどろおどろしいまでの破壊力を持っている。
あんた、ちょっと来てごらん
あんな娘のアゲハ蝶が飛びながら
ドンドン燃えているじゃないか
地獄か煉獄か、はたまた世界の終末か。黙示録的な風景が描き出される。むごたらしさの裏に、なんとも言えない美しさがあるのはなぜだろう。
詩というものが、日常の言葉と非日常の言葉を結びつけ、それによって新たな世界を作るものだとすれば、詩句の創造には、こういった日常を既に脱した人々によってなされるのがふさわしいのかもしれない。筆者も同じようなことを言っている。しかし完全に此の世(日常的世界)の要素を失ってしまっては、このように心をえぐるような詩句にはならない。日常と写し重ねになった異世界、あるいは地獄の風景こそが私たちの心を撃つのだから。