意外と分からなかった「著作権」について(その2)
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著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)
- 作者: 福井健策
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/01/15
- メディア: 新書
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著者はどちらかというと、著作物を利用したい側の立場からこの本を書いている。
もちろん苦労して新しいものを作り上げた創作者の権利は保護するべきだが、情報や芸術というものは、多くの人が共有してこそ真価を発揮するものだ。そうやって人から人の手に渡ることで元々の作品がより進化したり、時代を超えて受け継がれていくのである。たとえどんなに素晴らしい作品でも、著作権の処理ができずに誰も利用できないとなれば、いずれ人々の記憶が風化し忘れ去られてしまう。
自分のものは使われたくないが、他人のものは使いたい。ー自己中と権利保護のバランスー
青空文庫は生き残れるのか。ー著作権保護期間延長の問題ー
前述したように、日本では創作者の存命中の全期間と死後50年まで著作権が保護される。この期間が経過した作品は著作権フリーとなり、誰でも自由に利用することができる。これを「パブリックドメイン」略してPDという。
PDになった作品をボランティアの手でデジタルデータ化し、無償で提供しているのが日本では有名な「青空文庫」である。それらはアマゾンのキンドルや楽天のkoboなど、ほとんどすべての電子書籍ブランドに利用され、手軽に無料で古典作品に親しめるという大きな社会的利益に貢献している。
しかし、死後50年というルールは日本でのもので、欧米では70年としている国が多い。世界標準に合わせて著作権保護期間を延長すべきとする意見も多い。すでに期間延長は既定路線で、いつから適用されるかという時間の問題に過ぎないという。もしそうなれば、すでに無償で提供されている作品のうちのかなりの部分が再び保護されるようになり、私たちはそれらの作品にこれまでのように手軽にアクセスできなくなってしまう。
まとめ
以上、見てきたように、著作権は創作者の意欲と権利を守るために必要不可欠なものでありながら、情報の共有による文化の発展を阻んでしまう要素も持っている。これを、どのようにバランスを取っていけばいいのか。
現状では少なくとも、利用する側より利用を阻む側の主張が通りやすい。なぜかといえば、海賊版や不正使用などで実際に被害を受ける創作者が多いからだ。まずはこれが適正に運用されるようになって、もっと双方が歩み寄りやすい著作権の考え方ができていくる。