空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

過剰労働は「お客様は神様」意識のせいか

長時間労働の原因は「お客様」の暴走だ

 日本の過剰なサービスが長時間、過剰労働を助長しているという、最近よく目にする論調です。

 

日本の過剰労働は、「お客様」の暴走が原因だ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準toyokeizai.net

電通の事件をきっかけに広まり続ける、旧来の働き方に対する批判。残業を強制的に制限する仕組みを作ったり、罰則を強化したりする取り組みもよくニュースで目にします。なくなった女性には申し訳ないけれど、この衝撃のおかげで私たちの働き方に対する意識が変わり始めるのだろうか、という期待が持てる事も確かです。

 

ブラック企業大賞ノミネートから

blackcorpaward.blogspot.jp

今年の「ブラック企業大賞」ノミネートも発表されましたね。

これが年末の風物詩のひとつのような様相を呈してきているあたり、現代社会がある種の末期症状をしめしていることの証拠のように感じられます。

「選定理由」を見ると、「ブラック」だと言えるための条件はもちろん長時間労働だけではありません。残業ももちろんですが、殺伐とした職場、同僚に対して理解をしようとしない風潮や、過酷な業績への要求が二重三重に積み重なって、ついには犠牲者をだしてしまったのです。

 

たとえば、私の働いている職場なんかは、上のノミネート企業に比べれば生ぬるくて申し訳ないくらいなんですが、それでも時期によってはかなりの残業や休出を余儀なくされることはあります。

単純に仕事量の問題なのかといえば、それだけでもない。忙しい自慢や連勤自慢が多い上司がいたりすると、それだけで帰りにくい雰囲気が支配する感じがします。

 

では、今回の記事「客側のお客様意識」がどれだけ過剰労働に影響しているでしょうか。

私は、お客さんがどうかと言うよりも、店側とか企業側に「お客を恐れる心理」が非常に大きいほうが問題なのではないかと思います。

 

過剰労働は、客の意識の問題だけでは、もちろんない

私は以前、「お客様意識」についてこのような記事を書いたことがありました。

 

unbabamo189.hatenablog.com

 この記事は、今読むと、客側の問題というよりも、「いつでもたっぷり新鮮な寿司を回しておかねば客が怒る」という店側の意識から来ているのだと取ることもできます。

 

橘玲氏の「言ってはいけない」は、数多くの興味深い話がエビデンスてんこ盛りで語られているので、非常に面白くまたネタ本にぴったりです。

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

 

この本のなかで、「セロトニントランスポーター遺伝子」について書かれた一節があります。

セロトニン」とは神経伝達物質の一つです。脳は神経細胞の集積体で、様々な神経伝達物質がその間を行き来して情報を運んでいるわけですが、セロトニンの分泌が多ければ多いほど「幸福感」や「楽観的な気分」を感じやすくなるそうです。

そのセロトニンの分泌を司っているのが「セロトニントランスポーター遺伝子」で、これには「SS」と「SL」と「LL」の3つの型があります。「LL」がもっともセロトニンの分泌が多く、「SS」がもっとも少ない。

日本人に多いのはどの型だと思いますか?

それは、「SS」だそうです。つまり、セロトニンの分泌がもっとも少ない。ということは、「不安感」「悲観的な気分」を感じやすい国民性だということがわかります。

 

もちろん、「不安感」や「悲観的な考え方」があれば、将来に備えて対策を取ろうとしますし、それが日本人の堅実さや貯蓄への熱心さなどに現れているのでしょう。

もう一つ、それは「お客さんが怒ったらどうしよう」という不安感も、他の国に比べたら多いのではないでしょうか。

コンビニなんかで列に並ぶと、店員さんはそれはもう可哀想なくらいに急いでレジを回してくれます。そういう光景を見ると、初めは「ああ、そんなに焦らなくてもいいのに」と思いますが、やがてそれにも慣れてきてしまい、「自分のために汗を流して対応してくれる」のが当然だと思ってしまう。

そういうサイクルが、「お客様は神様」という、世界に類のない「おもてなし文化」を生んだのではないでしょうか。

 

過剰労働の話に戻りますが、では、そんな日本でこの手の過剰労働を防ぐにはどうしたらいいか。

今回の記事のように、「外国のあり方を見習え」というのは少し乱暴すぎることは確かです。もともと国民性や生活様式が違います。思えばなんと可憐な国民かと思ってしまいます。それはさておき、もてなされることに感謝しながら、それを当然だと思わないためには、「ありがとう」を必ず言う習慣をつけるしかないのではないでしょうか。

私たちは時にサービスを提供する側となり、時にサービスを受ける側となる。一つ一つのサービスが、「有り難い」ほどの心をつくしてなされるものなのだから。