下ネタぬいぐるみ映画「TED」には、1度見ただけでは気づけない深遠なテーマが隠されている
先日、実家に帰った時に母親絶賛で見させられた映画「テッド」。
クマのぬいぐるみがおっさんで、それはもう下品で悪ノリ大好きなどうしようもないおっさんで、笑いありパロディーありおバカありの映画なんですね。
ひと昔まえの映画ですが、ずいぶんと話題になったのでその時分に一度見ていました。
その時は、あははーくだらねえけどおもしろいな、ぐらいで終わったんですが、
改めて見てみると、下世話な笑いの中に現代アメリカ社会のみならず世界の歪みを浮き彫りにするようなテーマが見て取れるんだということに気づきました。
ちょっと深読みしすぎかもしれませんが・・・。
「種差別」を世界に突きつけた
- 作者: ピーターシンガー,Peter Singer,戸田清
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2011/05/20
- メディア: 単行本
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「テッドは親友なんだ。」
幾度も強調されることは、翻って「ぬいぐるみ=動物は人間と対等にはなりえない」ことを前提としています。
ヒトは何の権利があって他の動物の権利を侵害し、虐待するのか。という「種差別」を提唱する声が静かに高まっています。
ひと昔前のベジタリアンのように、感情的な理由で肉を食べない、というだけでなく、極めて哲学的かつ理論的に、人間が他の動物をモノあつかいする権利はないのだという結論を導き、「種差別」が人種差別や性別差別と同じく、倫理的に許されざる行いなのだという主張を行っています。
上の「動物の解放」の著者ピーター・シンガーによって1973年に提唱されたこの主張は、少しずつひろまりつつあるようです。
沼正三の「家畜人ヤプー」は、遠い将来に、日本人種族が奴隷化され、「ヤプー」として使役されている、ショッキングでアングラな小説です。
「もと日本人」たちは、奴隷あつかいだけでなく家畜あつかい、つまり食肉用として飼育されるほか、高度な遺伝子処理や外科手術によって「家具化」すらされており、その細かな描写も手伝って背筋が寒くなること請け合いです。
こういう、「異種族によって人間がモノあつかいされる」というストーリーは、対比的に人間が今、動物たちに対して行なっている数々の行いの、「ほんとうのおぞましさ」を浮き彫りにします。
食肉用、愛玩用、実験用その他、改めて考えると、有史以来人間が他の生き物に対して行なった罪の重さは計り知れないものがあるかもしれません。
「ドラえもん構成」は鉄板である
のび太=主人公
ドラえもん=テッド
しずかちゃん=恋人のローリー
ジャイアン=ローリーの上司
と当てはめれば、これはもうドラえもんの世界。まるっきりそのままと言っても過言ではありません。
できない男が幸せをつかむ話は世の男達に夢を与え、そういう男を優しく包む女性の話は、ひょっとしたら女性の母性を満足させるのかも知れません。
ドラえもんはいろいろ便利な道具を出してくれるご都合の良いお役立ちロボットですが、テッドはせいぜいストリッパーを大勢呼んでくれるぐらいしかできないダメぬいぐるみです。だから、「ドラえもん構成」に対する強烈なアンチテーゼとしてこの映画を見ることもできると思います。
さて、この手の「ドラえもん構成」が鉄板である理由はなんでしょう。
もちろん、絶対的弱者が圧倒的な強者に対し、人ならぬ存在から助力を得てぎゃふんと言わせるという展開がもたらす快感と溜飲のさがる思いに他ならないでしょう。
そして、弱者が強者に勝つというストーリーが受けるためには、世の中に弱者があふれていなければならず、今の格差社会はぴったりそれに当てはまると思うんです。
自分の努力と才覚でいくらでも社会的な立場を良くすることができる社会ではなく、もはやそういう個人の自由によっては覆すことができない構造になってしまった社会です。
だからこそ、人ならぬ存在の助力というものが唯一の福音となるんですね。
経済格差が固定化し、その結果としての「社会の分断」。それへの警鐘としてのメッセージも、この映画にはこめられているのかもしれません。