空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

堀辰雄 「大和路 信濃路」

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堀辰雄とはなんと無邪気な鋭敏な感性をもった作家なのだろうと思ったのがまず第一の読後感。あまりにも正直であるがために、彼は歩く道々の風物や出会う人々に影響されずにはいられない。
冒頭の幻想的な独白は、読む人をいきなり彼の純粋感性の世界に引き込む。道ばたにひっそりと置かれた地蔵にふと目がとまる。木漏れ日がちらちらと控えめなひかりの粒を蒔き、それらを浴びる地蔵は苔むしてまるで木の根の一部のようである。永い年月をへて風化し、こまかな造作を失い、かすかな人形だけが残った地蔵は、人の手ならぬ自然の造作物を思わせる。
そういう地蔵に旅の途上でふと出会うことを思い浮かべる我々は、堀辰雄の幻想そのままに土地の空気にそよがれ、旅の汗を嗅ぎ、土と草の肌触りに遊ぶことができる。
そのお地蔵さんはかすかに微笑んでいることだろう。土台がやや木の根にとりこまれ、全体が少し傾いているだろう。その傾きが、お地蔵さんにさらなる愛嬌を添える。足元には木の実や供えられているにちがいない。それは土地の人が、生活の一部として染み付いた敬意の表れであり、村の子供たちが学校の帰りに1人またひとりと置いていったものなのだ。

こうして一体の地蔵をめぐる印象はつづく。
文章の美しさがなせるものか。また描かれた情景の鮮烈さがなしえるものか。
この小作品の、冒頭の一節から広がる世界に涯はないであろう。
あなたは天上たかく広がる枝葉を見上げ、そこから散り蒔かれる木漏れ日にくすぐられ、少し笑みを浮かべるかもしれない。
村の子供が幾人か通ってあいさつを交わす。
あまりの気持ちよさに、地蔵の隣に腰をおろすであろう。そして、そのままうとうとと眠りこんでしまうかもしれない。
目が覚めたら夕日があかあかと燃え、地蔵の顔に昼間とはちがった表情があらわれているにちがいない。それは慈しみか労りか。とにかくあなたは半日のつきあいをお地蔵さまに感謝し、その場を立ち去るだろう。