空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

壁を作る指導者が生まれる前に、壁を壊した指導者がいたことを知っておこう

歴史

世界を2つに分ける壁があった冷戦時代

 

 今、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で、東西冷戦を特集したシリーズを放送しています。1990年にソビエト連邦が崩壊するまで、世界は「西側」と「東側」に分かれ、対立していました。両者の間には壁があって、あちらからこちらに、こちらからあちらに行くには大変な困難があり、一般の人にはほとんど不可能でした。この壁のことを、とくにヨーロッパでは「鉄のカーテン」と呼んでいました。

なぜ今、冷戦時代のことを取り上げるのでしょう。

冷戦が終わって、世界中で壁が取り払われました。EUが拡大し、人々は自由に国境を越えてどこにでも好きなところに行くことができるようになりました。

けれども時代はもう一度ゆり戻ろうとしています。次期アメリカ合衆国大統領の発言だけでなく、安全保障の名の下に人の移動を制限しようとする動きがあちこちで起こっているからです。

このまま再び、あちらとこちらに分かれてしまう世界になるのでしょうか。今のうちに、一世代前の先人たちがどのようにして壁を壊すことができたのか、そして、それができるのはどのような人なのかを知っておくべきだと思います。

 

ネーメト・ミクローシュがハンガリー首相に就任

ネーメトは、1988年から1990年までハンガリーの首相を務めた人物です。

ハンガリーでは、日本と同じように苗字・名前の順に氏名を表記します。だから、ネーメトが苗字、ミクローシュが名前です。)

 顔写真を見ても分かる通り、「地味」が服を着て歩いているような人です。とても一国の首相には見えません。よく言えば真面目そう、悪く言えば堅そうなイメージを受けます。

 

ネーメト・ミクローシュ (政治家) - Wikipedia

 

ネーメトが首相になったとき、すでにハンガリーの国家財政は破綻寸前でした。

共産主義というのは、国家がすべての経済活動を計画します。どの商品をどの工場がどれだけ生産するかを全て国家が決めるのです。だから、人々が必要とする商品はまったく出回らず、不要な商品ばかりが作られるということが起こりやすくなります。また、競争がおこらないから、技術革新がおきません。商品やサービスは、質が低いままいつまでも進歩しません。このことがどれだけ生活を不便にするか、想像するほど暗澹とした気分になりますね。今の生活の中で使われるほとんどのものは、コンビニの弁当もスマートフォンも、企業が競争のなかで改良を重ね、努力してコストダウンに取り組んできたからこそ、良いものがいつでも安く手に入るのですから。

東側の国々は経済が停滞したまま、急速に発展する西側諸国に圧倒的な差をつけられていきます。そしてネーメトが首相に就任した1988年時点では、ハンガリー経済は借金だらけで首が回らなくなっていたのです。

ネーメトはアメリカのハーバード・ビジネススクールで学んだ経済の専門家でした。経済問題でにっちもさっちも行かなくなったハンガリーは、この若き経済学者に藁をもすがる思いで国の舵取りを委ねたのです。弱冠40歳でした。

 

ネーメトの行なった大改革は、「普通の人の普通の判断」から

 

経済学者だったネーメトは、首相に着くとひとまず、国の財政収支をチェックし始めます。するとすぐに、巨額の資金がなんだか分からない目的で使われているのを掴むのです。

さんざん調べた挙句、その資金は隣国オーストリアとの間の国境ぞいに伸びる、長い鉄条網の維持に使われていることが分かります。

オーストリアは西側の国。すぐ隣にある自由で豊かな国に東側の国民が脱出しないよう、鉄条網と厳重な警備で監視しなければなりません。その警備システムとは、鉄条網に誰かが触れると、センサーが反応して警報が鳴り、国境警備隊が急行するというものでした。しかしそのシステムもすでに老朽化しており、部品を生産することもできなくなっていました。仕方なく西側のフランスから輸入していましたが、輸入のための外貨が常に不足し、借金をしなくてはならない状態だったのです。

ネーメトはこの状況を理解すると、普通の人が常識によって普通に行う判断を下します。すなわち、鉄条網と警備システムを撤去してしまうことです。もう使えないし金ばっかり食うんだから、やめてしまった方がいいに決まってる、ということです。

この判断がやがて、「西側と東側の壁」に穴を開けることになり、結果的にベルリンの壁の崩壊、そして冷戦の終結へとなだれ込む巨大なうねりをもたらしたのでした。

 

壁を壊したのは、「現実を直視する勇気」

 

ネーメト・ミクローシュ首相は、それまでのハンガリーの指導者と異なり、根っからの共産主義者ではありませんでした。経済学という専門知識こそ持っていましたが、一般人の普通の感覚を持ち合わせた人物でした。

硬直していない、フラットな立場で問題を眺められたこと。そしてもちろん、決断を実行に移す勇気が、世界を分断する壁を打ち倒すことにつながったのです。

 

冷戦時代、冷戦は永遠に続くものと思われていました。まさかこんなに唐突に壁が壊れるなんて、それこそ壊れる寸前まで誰も思わなかったのです。

しかし、壁があることの不自然さ、それを維持するのがどれだけ無意味なのかを理解した誰かが最初の行動を起こせば、壊すことができるのだということです。

 

もちろん、条件がそろっていたことも確かです。長年の停滞した経済に辟易していた東側の国民の不満は限界まできていましたし、ソ連に誕生したゴルバチョフ政権が、ハンガリーの決断に黙認を与えたことも大きかった。もしソ連がまだブレジネフ政権だったなら、ネーメトの起こした行動はすぐさま握りつぶされていたことでしょう。

しかしこういうチャンスを生かすことができたのも、現実を直視できるリーダーがいたからです。

 

 壁が作られる前にこれだけは覚えておきたい

 

 ベルリンの壁に象徴される冷戦時代の境界は、まったく人為的なものです。

戦後の世界再編のなかで、アメリカとソ連という両超大国がおのおのの縄張りを決めた結果、その間に壁ができていっただけのこと。しかし、それでも完全に壊されるまで40年以上の歳月と途方もない犠牲が必要でした。

一度壁ができてしまえば、コミニュケーションが途絶え、お互いへの理解が弱まり、不信感だけが大きくなっていくでしょう。壁ができて一世代も経てば、先祖代々の敵同士のようになってしまいます。

今はまだ、日本にはそういう動きはありませんが、目に見えない壁ができてきているように感じられてなりません。一度分断を既成事実化してしまったら、もはや自分たちの後悔だけでなく、後々数世代にわたる影響が残るのだということを覚えておきたいと思います。

 

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