空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

子育てとは人格を作ることではなく、人格を認識することである

息子。今月で2歳1ヶ月になるけれど、言葉といえばまだまだ単純なものだけで、会話というものが成り立つには相当の時間がかかりそうだ。一般的な発達カレンダーからすれば結構遅い方で、そんなことを言うと言っただけ焦ってしまうのだが、焦ったとして子供の成長が促されるわけではない。

 

今のところ言えているのは、

「パパ」

「ママ」

「あお(青)」

「ピーポーピーポー(救急車のサイレン)」

「うーうー(消防車のサイレン)」

「じーじー(お爺ちゃん」

「ばーばー(おばあちゃん)」

「ぶどう」

「ジャンプ」

「いいよー」

「もういい」

ぐらいである。発音が難しいのは「カ行」「サ行」「タ行」であるらしい。

「黄色」と言いたくて「いーろー」になっていたり、「赤」と言いたくて「あっあー」になっていたりする。これらの子音は口の形だけでなく喉や舌で一定のフォームを作らねばならないから難易度がアップするのであろう。

 

だが、発音できないこととは裏腹に、言われたことの意味は正確に理解しているようである。「時計の長い針が12のところに来たら教えて」というリクエストにも応えてくれたし、紙くずをゴミ箱に入れる、エレベーターのボタンを押す、昨日伝えられた予定を覚えている、などなど、結構賢いところを見せてくれたりする。

ということは、子供はわかんないだろうとタカをくくって話していることなんかも全部聞かれているということである。気をつけなければいけないのは、「誰々は〜ができるけどうちの子は〜ができない」とかいう無意味な比較をしたりすることだろう。

教育業界に長らく身を置いていると、自分に自信を持てずに向上できない生徒というのがどういう成長過程を経てきたか、だいたいの類型が分かる。その中で最も多いのが、家族、特に親からの何気ない、しかし決定的な一言を日常的に聞いてきた経験を持った子供だ。それによって、「自分はできないんだ」、あるいは「できなくていいんだ」という観念が子供の脳に刻み込まれ、小学校高学年になった頃には、もはや消すことが不可能になっている。

だからこれからの生活においては、自分たちが放つ一言一言が子供の一生を左右するということを忘れないようにしないといけない。まあ疲れることだ。

今は「パパー」とか言って泣いたり笑ったりするだけだが、次第に複雑な表情も見せつつある。彼は親とは別の人格を持った別の人間なのだ。そういう認識を最後まで持ち続けられるかどうかが課題だろうから、こうして文章化して時折確認しないといけないなあ。