空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

「高い城の男」 と世界の崩壊

今日の本はSF界の鬼っ子、フィリップ・K・ディックの書いた「高い城の男」

第二次世界大戦の勝者がドイツと日本だったら。

 それは歴史の仮定にすぎないが、その仮定を前提にしてしまうのがSF小説のすごいところ。作中世界そのものが現実味を欠いているのに、さらにそのなかで逆の状況、つまり戦勝国が英米だったらという小説が密かなベストセラーになっているという。それはそれはあべこべの中のあべこべの世界で、鏡の国に迷いこんだような幻惑感を持って読み進めざるを得ない。

正直いって読みやすい小説ではない。翻訳物だからということ以上に、どこか狂ったようなシュールレアリズムの絵画のようなねじれた人物、歪んだ風景が展開していき、なぜそうなるのか納得しきれないままにあれれと思ったら終幕。

「イナゴ身重く横たわる」と作中世界の二重化

ただそれが、鬼才と言われるディックの狙いなのだとしたら、これはもう人間業ではなし得ない。作中に登場する小説「イナゴ身重く横たわる」は、謎の人物「高い城の男」が書いたとされる。ナチスドイツと日本が戦争に負けた世界が描かれているが、それもまた現実の世界(読者たる我々が属する世界)とはかなり異なる。イギリスとアメリカがまさに文字通り世界を分け取りにするような設定なのだ。まさしく裏の裏は表ではなく、何か別のものに変容していて、読み進めるうちに、いやもしかしたら変容しているのはこっちの方ではないかと疑わしく思えてくる。

あっちの世界とこっちの世界と〜全体主義のリアリティ〜

つまり、作中の「現実」にしろ、「イナゴ身重く…」の中の虚構にしろ、本当の現実からすれば極端な覇権主義の罷り通る殺伐とした世界が描かれているのだ。まさに、世界というものは本来、全体主義の規定するところであり、私たちの現実、多様な価値観の共存する国際社会などというものが本来は虚構にすぎないとでも言うように。ここで、現実と虚構の境目がくずれ、今の自分がいるところがフィクションであるかのような目眩を覚えることになる。リアリティが欠如したところのリアリズムというか、足元に穴が開いたような不安感を味わうことのできる作品。そういう意味では、ジョージ・オーウェルの「1984」に似たところがあると思う。両方とも、個人では太刀打ちできない茫漠たる権力機構をもった社会を扱っている点ではよく似ている。
 
 
余談だが、同じ支配勢力といっても日本とドイツでは描かれ方が随分異なっていて、日本は支配者ながら情けと条理のわきまえた国家として、一方ナチスドイツは情け容赦のない殺戮国家として描かれている。そのせいか、この作品は日本人に人気はあるようだ。たしかに、作中に登場する日本人キャラはどちらかというと落ち着いていて、バランスに富んだ大人な人物として描かれている場合が多い。東洋的落ち着きといえば言えるが、実際の日本人からすればかけ離れていること甚だしい。西洋から見た東洋ということなのだろうか。
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