空論オンザデスク

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「国家の罠」佐藤優

今日の一冊は佐藤優の「国家の罠」です。 

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

 

様々な顔をもつ本

著者は外務省のロシア専門の分析官として活躍した筋金入りの外交官だった。北方領土問題解決に向けて、当時の鈴木宗男衆議院議員と協力しながら陰に陽にロシアとの交渉に当たっていたという。しかし、いわゆる鈴木宗男事件の発覚とともに自身も背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、500日以上の勾留期間を経て保釈、現在も裁判は行われている。
この本は、その経緯を筆者自身の視点から詳細に解説したものであり、自伝的な文章であるとともに2000年代初頭の国際情勢の解説書としても読めるし、「国策捜査」を内部からレポートしたルポルタージュとしても面白い。実際に現場に居続けた人にしか書けない迫力がある。

 

こんな男がいたのか。こんな男がいるものか。

 佐藤優氏は、当然のことながら「自分の経験談」として書いているわけだが、それにしてもこんな英雄的な人間がいるものかと思ってしまう。何しろ、卓越した分析力と多方面に根を張った人脈と、それらを使いこなし目的遂行に邁進する行動力を持つ「スーパースパイ」であるとともに、国益への献身、自己犠牲を厭わぬ無私の境地、盟友・鈴木宗男氏への忠誠を最後まで裏切らない誠実さ、そういう、骨のある「漢」とはこういうものだという要素を全て持ち合わせているのだ。もしこれが本当なら、奇しくも作中で検察官・西村尚芳氏が表していたように、「革命家」としての超人性すら帯びてくる。そこで、私のようなひねくれた人間は、こんな男が実在するものかと思ってしまうわけだが、心理描写やセリフの詳細などはともかく実際に彼がとった行動は客観的に記録されているわけだから、納得せざるを得ないわけである。こんな男が実際にいて、日本の国益のために陰ながら活躍していたんだと思うと感慨ぶかい。鈴木宗男事件というと、自分も一般大衆と同じく胡散臭い利権にまみれた政治屋の一人がまた出てきたぐらいの印象しかなく、こんな国家政策の歴史的大転換を引き起こしたキーパーソンだとは夢にも思わなかった。

 

国策捜査ということ

そういう、見方に多少の違いはあれども北方領土問題の解決、日露平和条約締結のために身を粉にして働いた鈴木宗男佐藤優両氏をまるで罠にかけるように断罪し、新しい時代の「犠牲の羊」にするなどということが本当にあったのだろうか。

国策捜査というのは冤罪事件と異なり、検察がまず断罪するターゲットを決め、彼らを取り調べしていくうちに事件を「作って」いくのだそうだ。「作る」という言葉そのものが作中、検察官たる西村氏その人の口から語られる。それじゃあ堂々と濡れ衣であることを暴露しているし、国策というより違法捜査そのものではないのかと思ってしまうし、日本が法治国家であることそのものが怪しくなっていくような驚くべき事実だ。

しかし、それはちょっと違うらしい。国策捜査でターゲットになる人物というのは、権力も人脈も並ではないから、「何かしら」は必ずやっているものだという。ただ、そういうことというのは普通誰でもやっているもので、わざわざ咎めようとするようなことではないのだと。例えば秘書給与を何十万円か流用していたとしても、それで捕まった人などいなかった。それが国策捜査の場合、「事件」として「作られる。」そういう話を聞くと今まで突如スキャンダルや汚職の疑惑をかけられ汚名を着せられたまま政治・行政の一線から退場させられた人物の大半は「これ」なのではないかと思えてくる。実際そうなのだろう。だから、いままでもこれからも絶妙なタイミングで実力者たちが葬られていくのが日本の檜舞台というものであり、これはひょっとすると大粛清の嵐が吹き荒れたスターリン下のソ連邦とさして変わらない政治状況ではないのか。ただ、それを命じるのが独裁者たる特定個人ではなくて、「国民の声」という実在しないものを標榜する何かなのだ。