「文明の衝突」を読み解く
文明の衝突を読み解くシリーズ第4回(最終回)です。
第1回
第2回
第3回
本書第4部の「文明の衝突」以降について主に読み解いていきます。
文明圏と勢力圏 中核国の存在
前回までで紹介した各文明ブロックには、「中核国」というものが存在します。
例えば、分かりやすい例で言えば中国文明の中国、ヒンズー文明のインド、ロシア正教会文明のロシア。西欧文明ではフランスとドイツが挙げられていますが、これはアメリカとイギリスはヨーロッパ大陸とはやや距離を置いた政策を採っているためでしょう。
日本は日本文明の唯一の構成国で、かつ中核国です。 一方、明確な中核国がない文明もあります。イスラム文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明です。いずれも、植民地主義列強に支配された歴史を持ち、古い帝国が解体された際に細かく分断されてしまい、リーダーとなりうる資格を備えた国が形成されなかった歴史を持ちます。
中核国の役割とは
中核国は、構成国同士の対立や紛争、または構成国と他の文明に属する国との間の対立や紛争に対して唯一、決定的な影響力を発揮することができると言っています。
文明の衝突によっておこってしまった争いは、当事者でも止めることが難しいのです。敵にたいするあらゆる憎しみが人々の間に定着してしまい、和平の動きに対して納得しないからです。あいつらは人でなしの悪魔だ。俺の家族を何人も殺したし、神の存在を信じない。人間じゃない。だから殺しつくすまでこの戦いをやめてはならない。という怨嗟の声が沸き起こり、指導者はその声に押されて戦いを止めることができません。
そこで、中核国がその伝統的な権威と武力にものを言わせて介入することが、唯一の決定的な解決策となるのです。あの国に言われたら仕方ない、おれたちはもともとあそこの国から出てきたんだから、というわけです。
イスラムには中核国の存在がない
イスラム社会では、もともと国家に対する忠誠が低く、家族、部族などの下位のグループ、および文化の統一体、宗教、さらに大きな帝国、ウンマ(イスラム共同体)が忠誠の対象として大きなウェイトを占めています。
なぜかというと、イスラムはもともと宗教的な指導者と政治的な指導者が分かれていました。第一次世界大戦前まで中東地域、北アフリカ地域、東ヨーロッパの一部を支配していたオスマントルコ帝国は、イスラムの守護者として文明全体に及ぶ指導力を発揮していましたが、あくまで政治的な指導者「スルタン」としてでした。
(オスマントルコ帝国の最大版図。wikipediaへのリンク)
そのオスマントルコ帝国が列強諸国によって解体され、旧領土は西欧によって文字通り分け獲りにされてしまうと、スルタンの地位は空中に浮いてしまい、それぞれの国が独立を果たしてからも、その状態が続いています。
その結果、イスラムの人々にとって、「国」とは西欧のエゴによって作られたまがい物にすぎず、そんなものよりも、信仰を束ねるウンマの方に心を寄せるのは当然のことです。 したがって、中核国の不在が内外の対立をもたらすと、中核国の地位をめぐる競争を生むことになります。このことが、イスラム文明内の争いや文明外の勢力との対立が長引く原因になっています。不仲なものを無理やり仲直りさせられるような、誰もが認める権威者がいないということでしょう。
これを今日の世界情勢に当てはめてみると、明らかにある一定の真実を言い当てていると言わざるをえません。ISのような暴走勢力が生まれてしまうのも、自制を呼びかけて納得させうる権威者がいないという事情が大きいのかもしれません。
他の地域、例えば東アジア情勢では、キナ臭い小競り合いが頻繁に起こっていますが、各文明の中核国同士、ロシア、中国、アメリカ(ハンチントンはアメリカを文明の中核国としてあげていませんが、それらの中でも別格の存在として予定していることは文脈から読み取れます)が、抑えを効かせているからでしょうか。中東のような泥沼の状況には陥っていないのです。
中国の台頭と東アジアの未来
ハンチントンは、西欧文明の支配に挑戦する文明勢力として、「儒教・イスラムコネクション」を挙げています。
中国とイラン、イラク、パキスタンを始めとするイスラム諸国の接近は、この本が書かれた当初も顕著でしたし、現在その影響力は強まる一方です。
バランシングとバンドワゴニング
長い歴史を通じて、中国は一貫して支配的な文明であり続けました。たまたまここ百年余り弱まっていたに過ぎないのです。ですから、今後中国がその伝統的な地位を取り戻そうとするのは当たり前であり、周辺の利害関係を持つ国としては、それにどうやって対応していくのかを考えていかねばなりません。
ハンチントンは、「バランシング」と「バンドワゴニング」を挙げて東アジア諸国の今後の取りうる選択肢を説明します。
バランシングとは、強大化する中国の周辺の国が連携し、一致して中国に対抗していくというものです。まさにバランスを取っていく政策です。 一方、バンドワゴニングとは、中国の優位を認め、その傘下に収まることで安全を確保するという考え方です。バンドワゴンとは、行列の先頭を行く楽隊が乗った車のことで、バンドワゴンに乗るとは、時勢に乗る、多勢に与する、勝ち馬に乗る、という意味がありますが、そういうことです。
バンドワゴニングをするには、自国の安全を中国に完全に委ねてしまうので、中国に対する完全な信頼が必要です。だから、通常はほとんどの国が、初めはバランシングを選択するでしょう。
しかし、ほかならぬ中国の故事にもあるように、強大な秦に各国が連携して対抗する「合縦=バランシング」は、秦が強大化しすぎ、「我が国が初めに攻撃されたらひとたまりもない」という恐怖心が大きくなるにつれ崩れていき、「連衡=バンドワゴニング」が完成してゆき、秦の統一が実現したのです。
日本のとりうる選択肢とは
では、このような中で、日本はどのように見られているでしょうか。
ハンチントンは、日本人は
「不可抗力を受け入れ、道徳的にすぐれていると思われるものと協力するのが、ほかの他のほとんどの国より速やかだ。そして道徳的に不確かな力の衰え始めた覇権国からの横暴な態度を非難するのも一番速い」
と言っています。それなりにオブラートにくるんでくれていますが、よく読むと酷い言われようですね。要するに、日和見主義ということでしょうか。
この本が書かれた当時(1995年ごろ)、日本は対米従属の立場を見直し、アジア諸国の中でバランスを取っていく道を模索していましたが、その後7年経った小泉政権下で一転してアメリカ寄りの外交に戻りました。その後、鳩山政権の時に一時自立した外交を取ろうとした時期がありましたが、政権が短命に終わったためまた元の対米従属路線に戻っています。
そして現在も、日本はアメリカとの同盟によって東アジアでの安全を確保しようとしています。だから、ハンチントンの読みとは大分違った形になってきているのではないかと思います。本書では、日本がアメリカから離れていくような書き方をされていますから。
また本書では、肝心のアメリカの位置付けと動向について語るところが少ないため、この辺りどう考えているのか読みづらいです。
ただハンチントンは、歴史的経緯を考えれば、遅かれ早かれ「アジアは平和と覇権を選ぶ」だろうと予測しています。つまり、中国が地域的な大国として君臨し、他の国はそれを受け入れざるをえないということでしょう。
現在の中国を取り巻く情勢は、必ずしも中国に追随する路線ばかりではなく、反発も大きいですが、その存在感は加速度的に増してきていることは事実です。
まとめ
「文明の衝突」を4回に渡って読み解いてきました。
ブログを書くことで、だいぶ自分としてもこの本への理解が深まったように思います。この本の言っていることは、今にしてみれば、それほど珍奇なものではありません。しかし、それはこの本の予言というか予測どおりに世界が推移してきたため、もの珍しく見えない、ということなのでしょう。
この本の提示する未来は、明るい理想郷ではなく、むしろ様々な勢力が相対立するリアルストラテジーそのものです。 そういった予測が10年前になされたことを奇貨として、私たち自身もどのように身を処していけばいいか考えていくべきです。
中東情勢は遠い異世界の話ではなく、日本もテロのターゲットとして名指しされています。東アジア情勢はもっと緊迫してきており、もしハンチントンの予測が当たってしまったら、日本と呼べる国は地上から永久に姿を消すことだってありえます。
亡国の悲劇は日本人にとって分かりにくいものです。先の敗戦の時でも、結局は国そのものは存続したわけですから、次があったとしてもまた復興できる、と考えてしまってもしょうがないかもしれません。
けれど、他国に滅ぼされてそのまま二度と復興しなかった国や文化は数知れずあり、むしろそういう例の方が圧倒的に多いのですから。
- 作者: サミュエル・P.ハンチントン,鈴木主税
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