空論オンザデスク

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日本人は昔からエロ話が好きだった。ー宮本民俗学に見る農村の性文化ー

性というものを、昔の日本人はたいへんにおおらかにとらえていた、という話です。

読んだのは、「忘れられた日本人」宮本常一著です。
忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

「忘れられた日本人」について

著者は、
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した
人物です。民俗学者ですね。
山中の村などに入っていき、お年寄りたちに話しかけ、昔の生活や逸話を聞き取って記録した本です。
 
昔の日本の村々というのは、現代の日本とは全く違うようでいて、どこかで繋がっている、そんな不思議な雰囲気を持っています。昔、と言ってもたかだか百年遡るかどうかですが。
そういう、近くて遠い日本の田園風景の中に、エロ話があります。
 

田植えと早乙女とエロ話

 
たとえば、「早乙女」という女性たちの話です。
早乙女とは、田植えの時に苗を田に植える女性たちのことを言います。笠を被って、藍と赤の衣装を着てみんなで田んぼに一列になって植える風景をどこかで見たことがありますよね。田植えは女性たちの仕事だとされていた地域は多く、女性のほうが辛抱づよくて仕事が丁寧だからでしょう。田植えはハレの日として、村のみんなで一緒になって仕事をするという、一種の祭りでした。
 
そういう早乙女たちが、みんなでわいわい仕事をしながら楽しんだのが、エロ話だといいます。
 
「昔、嫁にいった娘がなくなく戻ったんというの?」
「へぇ」
「親がわりゃなして戻って来たんかって、きいたら、婿が夜になると大きな錐を下腹にもみ込うでいとうてたまらんけえ戻ったって言ったげな」
「へぇ」
(中略)
このような話は戦前も戦後も変わりなくはなされている。性の話が禁断であった時代にも農民の特に女たちの世界ではこのような話はごく自然に話されていた。
(中略)
エロ話の上手な女の多くが愛夫家であるのはおもしろい。女たちのエロ話の明るい世界は女たちが幸福であることを意味している。したがって女たちのすべてのエロ話がこのようにあるというのではない。
女たちのはなしをきいてエロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。
 

 

 
愛夫家、という言葉が新鮮です。
そういえば、愛妻家という言葉はあっても愛夫家はないですよね。
どうしてだろう。でも、昔の農村の田植えがこんなふうに女性たちのエロ話で溢れかえっていたんだとしたら、その周りで男たちはさぞ赤面していたことだろうと同情します。それか、田んぼには近寄らないようにしていたのかも。
 
そのあとの筆者の洞察が深いですね。現代は「エロ話をゆがめている何ものか」が多すぎて、こんなふうにおおっぴらにエロ話を楽しめないようになってしまいました。
 
ただ、ひとつ注意しなければならないのは、このような女性たちのおおらかな姿の背景には、貧しさや性に対する無知、そして男尊女卑が当然のこととして受け取られている社会だからこそ、逆説的な意味で取り上げられている事実があるということです。
どういうことか、それは次の「夜這い」の話とも関わってきます。
 

夜這いについて

 
「夜這い(よばい)」とは、男性が女性の寝床に入り込んで性行為を無理矢理成し遂げるというものです。もちろん、現代の日本でこれをやったら完全にアウトですが、かつての日本では広く行われていました。一種の婿探しとしての機能もあったようです。
 
娘が年頃になると、わざと両親が寝ている母屋から離れた部屋に寝かせる。それを聞きつけた村の内外の若者が夜這いにやってくる。
娘は入り込んできた男を見て、気に入ればそのまま夜を共にし、気に入らなければ断った。そうやって何人かの若者と夜を過ごしていくと、当然ながらいずれ子ができる。遺伝的には誰の子か分からないから、娘本人が誰それが父親だと言えば周りはそれを信じるしかない。そうやって晴れて夫婦が誕生するということである。
 
本書では夜這いに繰り出す男たちの姿が分かるエピソードが記録されています。
 
昔の若い者は大きな山を一つ越えた南の樅の木山あたりまでヨバイに行ったと申します。一里の上、二里もありましょうか。そんなところにまで、いい女があれば夜道を遠しとせず、タイマツをとぼして歩いて行きました。
ある男が一晩娘と楽しんで、朝の仕事があるので、早く戻って来ました。しかし疲れが出て、大きな岩のそばの木の下でうたたねをしていると、一つ目の大男が現れて、
「ゆうべはよかったか」と聞きました。
「うん、よかった」
「おれのはどうだ」見ると、岩の上に腰を下ろして前を広げていますが、すごく大きいキンタマがだらりと下がっています。
「大きいのう」と言って、いきなり腰の脇差で、そのキンタマを切りつけました。するときゃっという声がして、そこには大きな古狸が死の苦悶をはじめていました。
 
こういう夜這い文化は、田舎へ行けば行くほど盛んだったことでしょう。ひとつの村のなかでだけ婚姻関係を繰り返していくと、やがて村じゅうみんな親戚のようになり、俗にいう近親婚の弊害がでてしまいます。だから、夜這いというものはかなり合理的な方法だったと言えます。
 
しかしながら、これは裏を返せば娘たちには行動の自由がなく、みずから相手を見つけるための「婚活」をすることはできないと。来た男たちの中から選ばなければならないということでもありますし、そういう生き方以外の道はなかったというのは、当時の社会や生活事情の制約があったからでしょう。村で生きていくためにはどこかに嫁に行かなければならないし、そこで野良仕事をし、出産という命の危険に常に脅かされながら多産に耐えるというのは生やさしい生き方ではなかったことでしょう。
 
ただこういうエピソードとして聞くと、牧歌的なのどかでおおらかな男女関係が魅力的に思えてくるのは、今の都市化した私たちの生活にはない濃密な人間関係が見えてくるからでしょうか。ただし、「昔は良かった」的なセンチメンタリズムだけで終わらせてはいけないことは確かだと思います。
 
 
 かつての日本人のおおらかさに浸りたい方はこちらもどうそ

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

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 明治、日本を訪れた外国人の目から見た日本人の姿。