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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

ハンナ・アレントを読む(1)

概説書におんぶに抱っこで読み解く現代の思想シリーズ。「ハンナ・アレント」第1章

 
ハンナ・アレント(アーレント)の書いたものを読みたくなったのは、単にミーハーな動機からに他ならない。20世紀の約半分をリードした女性思想家というだけでなく、ハイデガーとの恋愛関係や、アイヒマン裁判をめぐる出来事にも興味を掻き立てられずにはいられない。2013年に公開され話題になったこの映画の存在は知らなかったが、彼女の透徹した視線の先にあったものが知りたいと思うのは無理なからぬことだろうと思う。ただ、彼女の著作はどれも難解であるため(「人間の条件」で一度挫折した。)、今回は概説書に頼ることにした。読んだ内容と印象をまとめ、理解のたたき台を作りたい。これはあくまで、「自分なりにまとめた」覚書のようなものであり、その理解が正確なものであるという保証はいたしかねる。
 

 

ハンナ・アレント (講談社学術文庫)

ハンナ・アレント (講談社学術文庫)

 

 参考文献:「ハンナ・アレント」川崎修 講談社学術文庫

 
前半部第1章「全体主義の起源」についての解説部分より

全体主義とは

ハンナ・アレントの著作の中で最も重要な位置を占め、しかもその後の彼女のライフワークとなった全体主義研究の大著。それが「全体主義の起源」である。
全体主義」をwikipediaで調べると、

 "全体主義(ぜんたいしゅぎ、イタリア語: totalitarismo)とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである。 この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める。"

とある。対義語は「個人主義」または「民主主義」。

アレントは、この言葉を20世紀秩序の一大体系として考え、ナチズムスターリニズムをその対象としている。独裁者が恐怖とプロパガンダによって国家を支配し、やがて世界を支配する戦争へと導くような体制を言うのであろう。この、暗い影が付きまとう言葉は、現在の地球上では表面上どの国の体制でも採用されていない。では、全体主義はすでに時事的な意味を失い、単なる歴史上の遺物となったのであろうか、とは本書の著者の投げかける疑問である。

確かに、ナチス・ドイツも、スターリンの支配したソビエト連邦も、今は歴史の彼方の事象となった。彼らのように巨大な規模で国家を組織し、無慈悲な強制力をもって何百万もの人々を抹殺できる体制は存在しないかもしれない。しかし、現代においても独裁や暴政は存在するし、かつてとは当事者になる国名こそ違いながら、それでも世界の不安定化要因は溢れていると言える。

全体主義の起源」は、タイトルの意味する通り、全体主義がなぜ生まれたのかを論じる書物なのだが、それとは一見関係のなさそうな非常に複雑で多様な要素が登場するため難解な内容になっているらしい。それは、人類史上空前の殺戮を行った体制が、突然変異のように出現したのではなく。長い歴史と複雑に絡み合った因果関係のはてに成立したものだということを示している。

19世紀秩序の終焉と大衆の出現

国民国家の成立と解体 

「20世紀の怪物」である全体主義は、19世紀秩序の解体の過程で生じた奇形児である。フランス革命、アメリカ革命に続いて始まった19世紀は、国民国家と資本主義の形成がその特徴である。この時、王政が倒れ、ブルジョア階級が権力を握った。政治的権利を手にした市民は、「国」というものを、「国民」が支配するものとして位置付けた。これが国民国家の成立である。同時に、自分たちの資本を投下して富を拡大する場として国家を利用した。ところが、政治的諸活動が国という領域を前提とする以上、その拡大には自ずと限界があるのに対し、富の拡大を始めとする経済的諸活動には限界がない。ここに、国民国家が誕生と同時に解体され始めた要因があるという。経済の追求の場として格好のフィールドだった国家という枠組みは、やがてその限界に到達するにつれ経済活動にとっては邪魔な障壁となるという。

帝国主義とモッブ

モッブとは、自分の理解によれば帝国主義を推し進める主役となった冒険的な人々のことを言い、本国では元々の階級からはじき出された「はみ出し者」である。これらの人々が資本主義の拡大に寄与し、海外領土を押し広げた。この終わりのない過程で、多くの植民地では「官僚制」が成立していったという。官僚制とは、君主や国民の代表による支配と対極にある言葉で、どこの誰が支配しているかわからない体制だという。議論による過程で成立した法律ではなく、技術的、恣意的な過程で乱発される政令によって支配の方針が決定され、その責任の所在が明確ではなく、「誰でもない者」が統治する体制である。
国民国家の枠を打ち破り、無限の拡大を続ける資本主義が、必然的にモッブと手を組み、本国と遠く離れた植民地を支配するのに便利な形として「官僚制」を定着させた。

政党と階級社会vs運動と大衆社会

国民国家の成立と解体、帝国主義によるモッブの活躍、官僚制の登場によって古い階級社会は不安定になり、それらが徐々に解体されていった。人々が生まれながらに帰属する社会、農村とか、ギルドとか、貴族社会とか、そういうものがなくなっていくと、人は「誰でもない者」としてこの世に生を受ける。地縁、血縁などあらゆる伝統的な枠組みに縛られているのが中世の人間だとすれば、近代国民国家の都市住民はそれらに縛られない自由を手にしている代わりに、そのようなネットワークに保護されることがない。これが「大衆」である。大衆は容易に動揺し、不安定要素になりうる。それぞれの階級の利益を代表していた政党の存在意義は失われ、影響力が影をひそめる。その代わりに人々を組織したのが「運動」である。この「運動」の特徴は、終わりがないこと、また構成員の顔が見えないこと。つまり国民国家の成立解体の過程で生じた特徴を併せ持つ。この究極的な形態が、「全体主義運動」である。
 
 
 
付記:自分的な「全体主義の理解」チャート

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