空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

DMだけで幼児を夢中にさせるベネッセの卓抜したマーケティング

教育業界の「巨人」ベネッセはどのようにその地位を築いてきたかという話です。

 

自分の家では「こどもちゃれんじ」という定期購読の教材を0歳の時から取っています。「しまじろう」が出てくるあれです。きっかけはなんだったかというと、子供が生まれるタイミングで届いたDMです。なんでそんな良いタイミングでDMが届くのかというと、これまたベネッセが出版している「たまごクラブ」という雑誌でいろんな情報をもらうために読者登録したからです。

ベネッセは、生まれる前から大学受験まで切れ目なく、それぞれの年齢に合わせた教材を取り揃えているので、その間のどこかでアクセスする可能性が高い。そうすると「潜在顧客」としてDMが来るようになるんですね。

そして、このDMがまた創意工夫に満ち満ちている。

DM一つ取っても、思わず開封して中を見てみたくなってしまうんです。

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これが先日届いた幼児用英語教材のDM。

しまじろうがでっかく「hello」とか言っていて、これを見た途端に子供が「開けてみる」とか言い出すほど、わくわく感を演出しています。

 

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中にはもちろん英語教材のチラシが入っているんですが、

おまけとして入っているペーパークラフトが絶妙。 

 

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 組み立てるとこんな感じです。

車のおもちゃにしまじろうを乗せて、付属のマップの上で遊べるようになっています。

結構ノリノリで「ブッブー」とかいって遊んでいました。

本コースを申し込むと、これの4倍の大きさのマップと車のおもちゃとしまじろうのぬいぐるみが届くそう。こういう「おためし感」もよく考えられていますね。

 

うちとしては、英語はもうちょっと日本語が話せるようになってからでいいかと思っていたんですが、将来的なグローバル化とか大学入試でスピーキングやディスカッションが入るとかの話を考えると、いずれは英語をやらせなきゃいけないのは認識しています。

 

英語って親が教えられないですからね。

そういう家庭って多そうだし、だからこそ広く浅くというベネッセのビジネスは成功しやすい。

まず、子供に興味をもたせて、興味を持っている子供の姿を見せることで迷っている親をぐらつかせる。人の心理が分かっていないとできないことです。

まさに理にかなったマーケティングだと思いませんか。

すごい会社だよなあとつくづく思う。

 

早稲田アカデミーの中学入試報告会に行ってきた

ケチな同業者としても、勢いのある塾は気になるもの。

早稲アカの今年の中学入試はどうだったんだろうかと説明会に参加してみました。

www.waseda-ac.co.jp

インパクト満点のオープニング

 

大体の塾は、こういう説明会を集客のチャンスと位置付けているので、広く一般公開でネットから簡単に申し込めて、しかも無料で入り込めるんですね。

今まで自分のところ以外の説明会に出たことがなく、大変新鮮な気持ちが話を聞けました。それはさて置き、内容はどうだったのか。

 

まずのっけから自慢で始まります。ばーん、という効果音こそしませんでしたが、最初の演者が出てくるときに確かにそんな音がこだましているように感じました。

でっかくスクリーンに、「単独塾として業界第2位の御三家中実績」と映し出しています。「単独塾として」という文言は、「四谷大塚には負けたがあそこはいろんな加盟塾の寄せ集めだから数には入れない」ということです。

まだSAPIXにはトリプルスコアで負けているが、高校入試で追い越したように、早晩ぶっちぎってやる、とぶち上げていました。

ここら辺の、闘争心むき出しの宣言を説明会の初っ端で行うあたりが早稲アカだなあと強く感じるところです。最近でこそ有名になって少し丸くなってきましたが、ひと昔前まではハチマキ締めてスパルタ教育が早稲アカのカラーでしたから。

とはいえ、ここまでの自信を見せられるとさすがに納得させられるし、ここに任せておけば、とりあえずついて行きさえすれば合格させてもらえそうだ、という安心感は得られます。まさに旭日の勢いを体現したような説明会でした。

 

入試問題分析の説明について

 

さすがに、早稲アカのエース級の人たちが説明してくれるので大変参考になりました。特に社会科の説明は秀逸でした。ご自身も吉祥寺校の責任者をされていて、直接指導された生徒さんたちの開成中合格率は80%、1校舎で13名合格させたというのは驚異としか言いようがないです。

その方もやはりというか受験社会科先生らしく、語呂合わせで持っていこうとするんですね。来年度の出題傾向のキーワードは、

「18番 おはこさ」

だそうです。18=18歳選挙権、お=オリンピック、は=函館、こ=国際関係(TPP)、さ=サミットということ。確かに、覚えやすい。

中学入試の社会科は、ややもすると時事問題が多く出て、そこが差になったりするので、今年話題になりそうなところ=重要ポイントということです。

確かに、選挙がある年は必ずそれに絡めた出題が多いし、オリンピックイヤーについても同じ。国際関係も王道ですし、新しい新幹線が通ると出題率も高くなります。いわば鉄板の分野です。アメリカ大統領選とかも捨てがたいとは思うんですが、やっぱり中学入試だと日本が直接関わらないニュースはあまり取り上げなかったりするんですね。

 

その他、気になった点

最初の演者の人は、「早稲アカは無駄に過去問を反復させない。御三家の問題は過去問を繰り返しやって答えを覚えてしまうような勉強では対応できない。常に新作の対策問題を山のように解かせて鍛えていく。」と言っていたが、その後の、算数の入試問題分析の演者さんは「過去問を重視し繰り返し定着させる」というようなことを言っていた気がします。

まあこれは、矛盾と言うよりも過去問の重要性と危険性の双方に考慮しているということの現れだと思います。過去問は大事ですが、そればかりやっていると頭が硬直してしまい、過去問以外の問題に対する対応力を損ねてしまうことになりかねません。なので、過去問対策をきっちりやりながら新作の問題でも鍛えるという線が有効なのかなと思います。

 

意外と分からなかった「著作権」について(その2)

前回の記事↓

  

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著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)

 

 著者はどちらかというと、著作物を利用したい側の立場からこの本を書いている。

もちろん苦労して新しいものを作り上げた創作者の権利は保護するべきだが、情報や芸術というものは、多くの人が共有してこそ真価を発揮するものだ。そうやって人から人の手に渡ることで元々の作品がより進化したり、時代を超えて受け継がれていくのである。たとえどんなに素晴らしい作品でも、著作権の処理ができずに誰も利用できないとなれば、いずれ人々の記憶が風化し忘れ去られてしまう。

 

自分のものは使われたくないが、他人のものは使いたい。ー自己中と権利保護のバランスー

 ここでは、「多次元創作」について考えたい。
全くのゼロからものを創造できる人は少ない。どんなに斬新な作品であっても、それまでにあった何かから影響を受けているはずだ。先行するものがあってこそ後発のものが創造される。
それを、「インスパイア」とか「触発」などというが、これらと「模倣」との間をどう区別すればいいのだろうか。
見渡してみれば、世の中は「二次創作」、「三次創作」ばかりだ。
漫画のアニメ化、キャラクターの商品化で溢れている。自分の妻がよくやっている「ディズニーツムツム」も、ディズニーのキャラクターを二次創作したものだし、さらにそれがいろいろなものに商品化されている。
大元になったディズニーのキャラクターでさえ、先行の作品の影響を強く受けている。ディズニーのオリジナル中のオリジナルであるミッキーマウスですら、当時流行していた「フェリックス・ザ・キャット」に対抗するように生み出されたものだし、白雪姫、アリス、シンデレラも古い童話が元になっている。
このように、かつて作られたものが次の世代を触発し、新たな時代に合うようにアレンジされることで文化というものが作られてきた。著作権の保護が強力になればなるほど、創作が困難になり文化の創造をむしろ抑制することになりかねない。
  

青空文庫は生き残れるのか。ー著作権保護期間延長の問題ー

 

前述したように、日本では創作者の存命中の全期間と死後50年まで著作権が保護される。この期間が経過した作品は著作権フリーとなり、誰でも自由に利用することができる。これを「パブリックドメイン」略してPDという。

 

PDになった作品をボランティアの手でデジタルデータ化し、無償で提供しているのが日本では有名な「青空文庫」である。それらはアマゾンのキンドル楽天koboなど、ほとんどすべての電子書籍ブランドに利用され、手軽に無料で古典作品に親しめるという大きな社会的利益に貢献している。

 

しかし、死後50年というルールは日本でのもので、欧米では70年としている国が多い。世界標準に合わせて著作権保護期間を延長すべきとする意見も多い。すでに期間延長は既定路線で、いつから適用されるかという時間の問題に過ぎないという。もしそうなれば、すでに無償で提供されている作品のうちのかなりの部分が再び保護されるようになり、私たちはそれらの作品にこれまでのように手軽にアクセスできなくなってしまう。

 

まとめ

以上、見てきたように、著作権は創作者の意欲と権利を守るために必要不可欠なものでありながら、情報の共有による文化の発展を阻んでしまう要素も持っている。これを、どのようにバランスを取っていけばいいのか。

現状では少なくとも、利用する側より利用を阻む側の主張が通りやすい。なぜかといえば、海賊版や不正使用などで実際に被害を受ける創作者が多いからだ。まずはこれが適正に運用されるようになって、もっと双方が歩み寄りやすい著作権の考え方ができていくる。

 

意外と分からなかった「著作権」について(その1)

今回読んだ本はこちらです。

著作権の世紀

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)

著作権の世紀―変わる「情報の独占制度」 (集英社新書 527A)

情報が瞬時に複製され配信されることが可能な現代では、著作権の保護は必要不可欠なものです。
 
もしこれがなかったら、大金を注ぎ込んで製作した大作映画や一生かかって書き上げた長編小説などがあっという間にコピーされて勝手に販売されてしまいます。創作しても全く大損で、下手をすれば生きて行くことすらできません。
 
このように創作者の権利を保護し、その結果として創作意欲を後押しして人間の創造性を高めていくという崇高な使命が、著作権にはあります。
 
一方で、著作権があるのかないのかの判定基準があいまいだったり、作品を利用するときの著作者の許諾を得るのが大変だったりと、制度としての問題点も大いにあるところです。
 
本書はそのへんのところを丁寧に解説してくれていますが、自分が特に注目したトピックについていくつか取り上げたいと思います。
 

フィギュアに著作権はない? ー著作物かどうかの境界線ー

 ・オリジナルな表現は著作物になるが、広く一般的でありふれた表現は著作物にはならない。という原則があります。その原則をもとに考えると、
 
①単なるスナップ写真は、裁判所で争って著作物であると認められた。
→単に何気なくパシャりと写しただけの写真でも、撮影者に著作権が認められ、被写体になった人の「肖像権」とは別個の権利となる。ある人物写真を自分のサイトなどに載せようと思ったら、撮影者と被写体の人物の両方に承諾を得る必要がある。
 
②実用品のデザインは、基本的に著作物には当たらない。
車や家具のデザインは、作っても著作物にはならないため、意匠権実用新案権を取得する必要があるということ。役に立つデザインならば創作者が独占せずに広く社会で共有すべきだという点で私的独占に向かない。
 
③実用品だとしても、一点ものの作品や高度に芸術性があるものは著作物である
→②の例外。
 
以上の3つの点をベースに、フィギュアが著作物であるかどうかが争われた。いわゆる「海洋堂フィギュア事件」である。
海洋堂の製作した食玩フィギュアのうち、「妖怪」と「不思議の国のアリス」「動物」について、著作権があるかどうかが争点になったこの裁判では、なんと「アリス」と「動物」の2つのシリーズについて著作権が否定された。理由として、一つ目は元になる作品や写真を参考にして製作されているため、オリジナリティが低いと判断されたこと。もう一つは、お菓子のおまけであるため実用品だと判断されたこと。
「菓子のおまけなら実用品」というのは、要するに菓子と同一視されてしまった結果だということで、あまりにも乱暴かつフィギュアというものの表現力を考えていないことが分かるが、それが裁判所の判断というものなのかもしれない。
一方、著作物だと認められた「妖怪」は、独自の表現であることが認められた。
 
↓のサイトに写真が掲載。確かにこれを創作と言わなかったら罰が当たりそう。 
 

入試の過去問集が歯抜けなのは何故か。ー著作権処理の困難さの正体ー

 著作権は、著作者の死後50年まで保護される。その権利は相続人に受け継がれ、原則として相続人全員の共有という形になっている。したがって、亡くなってしまった作者の著作物を利用したいということになったら、相続した人全員の承諾を得なければならない。
 
これがどんなに大変なことか想像に難くない。亡くなって数年の人ならまだしも、数十年経っている人ならば、その相続人すら亡くなってしまっているケースだってある。その場合、孫の代まで著作権は相続されることになる。許可を得なけらばならない人数は極端に多くなってしまう。
 
その、相続人を探す手間、それにかかるコスト=サーチコストと、全員と利用交渉しなければならない交渉コストそれらが大変に馬鹿にならない。
 
ところで、著作権の保護には幾つかの例外がある。こう言う場合ならば著作権者の許可なく利用することができるという場合だ。
 
・私的利用のための複製、図書館等における複製、引用
・教科用図書等への掲載、教育機関における複製等、
・試験問題としての複製等、視聴覚障害者のための複製等、
非営利目的の上演・上映・貸与等、政治上の演説等の利用、
・事件報道のための利用、美術の著作物等の原作品所有権による展示、
・公開の美術の著作物等の利用、プログラムの著作物の複製物所有者による複製等、ネットの検索事業者による複製等、
その他

上記のような場合には、著作権者の許可なく利用することができる。

以外と、結構な範囲の例外規定がある。これらの中で、赤字の部分に注目したい。試験問題の中に使う分には著作権者の許可は必要ないが、それを改めて本にして出版するとなると話は別。きちんと許可を得なければならない。

死後50年が経って著作権が切れてしまった作品ならばそういう心配はないし、現在存命中の作者でも、利用を認めないポリシーをお持ちの人以外ならば許可を得るのは比較的容易だが、その間の人の場合は前述したように著作権処理が非常に困難になる。

結果、入試問題集の国語には、著作権処理が行えず、問題文だけが歯抜けとなってしまったものが少なくない。

そのくらい、著作権というのは強力かつ厚く保護されている権利なのだ。

 

 長くなったので(その2)に続く

 

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乳児退行かトラウマか。歩かなくなった2歳児。

歩かなくなる2歳児

 

我が息子、2歳7ヶ月になりますが、この度歩かなくなりました。

きっかけとなった出来事は約一週間前のこと。
ちょっと高めのところからジャンプしたいと言い出しました。
 
きっと活発で運動能力に優れた友達に影響を受けたのでしょう。落下地点あたりにマットを敷こうとしたら、「マットなしでやる」の一点張り。
 
そうか、じゃあやれるもんならやってみろと言ってみたが最後。哀れなチビすけは約70センチの棚から飛び降り、足から着地。
着地姿勢は思ったより綺麗だったものの、足がジーンと来たのかそこから泣き叫ぶこと小一時間となりました。
 

ハイハイが上手くなる2歳児

 
そこからです。
足が痛いのと言って一晩足を着かずに生活。
心配して整形外科に連れて行っても異常なし。
それでも足が痛いのと言い続け、今日までほぼ一週間、両足をついて歩いていません。
 
その代わり、ハイハイは上手になりました。2歳7ヶ月にしてハイハイ上手です。
テーブルに上がるときや扉を開けるときは、ノブやイスまで届かないためだっこして開けさせてやらなきゃいけません。
 
レントゲンに異常はないそうなので、きっと本当に痛いわけではなく、痛かった記憶がまだ生々しく、両足をつく勇気が無いだけなのかもとは思います。
しかし、これほど長引くとなると相当なトラウマを背負ったのかと思わざるをえません。
 
子供にとっては、痛さというのも一つ一つ人生初体験ですから、衝撃のあまりの激しさにびっくりしてしまったのでしょうか。
 

用心深い2歳児

 
ちょっとだましだまし足を着かせようと目論んでみてはいます。
手に取りたがっている玩具をちょっと高いところに置いてみたり、座った状態から自然に歩き出せるようにしてみたり。
 
しかし、ちょっと足を着くやいなや、何とも微妙な表情になって足を引っ込めてしまうんです。これは手強い。この用心深さは誰の血かと勘ぐってしまいます。
 
このまま歩かない日が続くと、足の筋肉が弱ってしまうのではないかと不安です。
まさか2歳にしてリハビリに通うことになったら、若くしてお年寄りみたいな感じになってしまうのでしょうか。ベンジャミン・バトンを地で行くよぼよぼさ加減です。
それはそれで思い出に残りそうですが。
 
 

「夜露死苦現代詩」の世界2 脱力系笑いの元祖ここにあり。点取り占いの異次元

昨日ご紹介した「夜露死苦現代詩」をまた取り上げます。
 

第2章 点取り占い〜について

 
点取り占いとは、駄菓子屋などでボール紙に貼り付け状態で売られているクジ遊びのようなもの。
一つ剥がして買い、包みを剥がすと16枚の紙片が折りたたまれている。それぞれのクジには、1から10までの点数と、黒丸、白丸、反黒丸の3種類の記号。それに短い言葉と場合によって挿絵が描かれている。
と、言葉にして説明しても良くわからないでしょうから、一度検索してみていただきたい。Googleの画像検索をかければいくらでも出てくるはずである。
 
 
遊び方は簡単で、16枚のクジに書かれた点数のうち、白丸の点数の合計から黒丸の点数の合計を引き、プラスの数なら反黒丸の合計点数を足し、マイナスの数なら反黒丸の合計点数を引く。その合計点数が、「50点以上なら上々、50点以下なら反省することあり。」という、面倒な計算の割に面白くもないものだ。
 
では点取り占いの何が面白いのか。
それは、クジの一枚一枚に書かれた言葉だ。それが時に付けられた挿絵と相まって、不条理ともいえる不思議な世界を創造している。くすりと笑える時もあれば、何コレと思うときもあるだろうし、真面目な人ならこんなもんで金を取るのかと怒り出すかもしれない。
 
夜露死苦現代詩」が掲載しているもののなかで、自分がおもしろいと思ったものを挙げてみる。
 
 
君はもっとえんりょしなければいけません
あんまりされたくない類の注意だが、いきなり言われると「はぁ」と妙に納得してしまうかも。
鳥にふんをひっかけられる
壮絶に嫌な体験ですが、この中だとさほどインパクトもないかもしれない。
グライダーで飛んでからすと仲よしになった
メルヘンだ。からす、いうあたりが三丁目の夕日みたいでホロリとくる懐かしさがある。
 
おいもをたべすぎてお尻がやかましい
これは完全にギャグだが、「やかましい」という表現が秀逸。
雨の降る日は天気が悪いとは知らなかった
確かに。既成概念を問い直す哲学的な詩句である。
何でもよいから教えてくれ
とにかく範囲広すぎの無茶振り。不条理すぎて笑えるのジャンル。
 
エレベーターに一人で乗るとこわいです
これも確かに、と唸るしかない、日常生活上の心の襞を突く作品。
どんどんはしってどこえ行くかわからない
どこ行っちゃうんだよと逆に突っ込みたくなる、不条理的ボケの世界。
一番しみったれなのはだれだろう
ほんとに、誰なんでしょう。
目をむいて鼻の先をなめろ
無理っす。
あつくてあつくてユゲがでてくる
出てきちゃうんだから相当あついんでしょう。
お前は三角野郎だ
三角野郎って、どっちかっていうと悪くない言われようかも。80年代のツッパリのイメージがある。「俺もお前も三角野郎の愚連隊」のような。
 

夢と現実の二つ写し

 
前後の脈絡全くなし。
意味不明な言葉もある。
しかし、そこから湧き上がってくる不思議なユーモアはなんだろう。
「目をむいて鼻の頭をなめろ」とかいきなり言われたら面食らってしまうしかない。そもそもできないし。
「あつくてあつくてユゲがでてくる」は、どんな状況なんだか想像がたくましくなる。「あつくて」が2回繰り返されているあたり、ものすごくあついことは分かるが、ひらがなで表記しているため「暑い」「熱い」「厚い」のどれなのか分からないから余計に意味が不明なのだ。
 
これらの言葉たちはどこで生まれたのか。
それは戦後まもなくのこと。ミヤギトーイという玩具会社の社長が、子供達に娯楽を提供するために作ったのだそうだ。
「寝ながら思いついた言葉を書き留めた」もので、寝覚めでぼんやりしているときに、なんとなく浮かんできた、とりとめのない泡のように浮かんでは消える想念をひたすら記録しては商品にしていったという。
そう言われればなんとなくそんな感じがしなくもない。子供が時々発する寝言にも似ているような気がする。
夢かうつつか。前回の老人病院の患者たちが漏らした言葉たちのように、日常の世界と非日常の世界が重なりあったところにこれらの言葉たちが生み出されている。夢という異世界が、寝起きという特殊な状態を通して現実世界と絡まり合う。だからこその、このユーモアなのだ。
 
点取り占いは、もちろん駄菓子屋でも置いているが、近所に駄菓子屋がないという方は、こちらで1セット大人買いはいかがだろうか。結構長い期間、この不条理世界が楽しめるはずだ。
 

 

 

 

点取占い 12付

点取占い 12付

 

 

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胃の腑をえぐるような言葉に出会いたければ「夜露死苦現代詩」を読め

ちくま文庫ってご存知でしょうか。

古典や思想など、高尚な内容を主に扱っているアカデミックなレーベルです。私はこの文庫が大好きでして、本屋さんでちくま文庫の棚を漁っていると、ときどきマニアックでディープな世界に出くわすことができます。それはそれはスリリングな文庫レーベルだと思います。
 
そのなかでも結構極め付けの部類に入るのが、この「夜露死苦現代詩」です。

 ヨロシク現代詩とはどんな本か

夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)

夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)

 
 コンビニの前にしゃがんでいる子供が、いま何を考えているかといえば、「韻を踏んだかっこいいフレーズ」だ。60年代の子供がみんなエレキギターに夢中だったように、現代の子供にはヒップホップが必修である。だれも聞いたことがない、オリジナルな言葉のつながりを探して、「苦吟」するガキが、いま日本中にあふれている。国語の授業なんてさぼったままで。

 

「現代詩」というジャンルは、文芸界で言えばもはや死んだも同然かもしれない。しかしプロの詩人や評論家や学者たちが狭い業界に閉じこもってああでもないこうでもないと言っている間に、ストリートには新しい言葉が次々と生み出されている。

これまでの常識では、「詩」だとはとても認められない言葉たち。人生の苦しみのなかで、だれもが己の一切を表現しきる言葉を探しては吐き出している。それが詩だなどとは思いもせずに。筆者はそういう路上に無造作に垂れ流される言葉たちに目を向け、愛を注ぐことで「詩」というものの可能性を広げようとしている。

詩なんて良くわからない、という大多数の人に、実はあなただって毎日詩を紡いでいるのですよ、と気づかせてくれる本だ。

 本書は一つ一つの章にそれぞれ別の世界が充てられているアンソロジー形式をとる。そのなかで、特に胃の腑をえぐられるような印象を受けた章を紹介したい。

第1章 痴呆系 あるいは〜について

※「痴呆 」という単語は現在社会的に使うことを不適切としていますが、ここでは原書のタイトルを尊重するためそのまま載せています。この後の下りでは引用でない限り置き換えて表現します。

老人病院に勤務する看護助手をしている人が、認知症に苦しむ老人たちの言葉を書き留めた本を、筆者が紹介したもの。

なんの脈絡もない単語どうしの組み合わせが、深い意図をこめられてかそれとも偶然の一致か、激しいインパクトと恐ろしいほどのリアリティをもった詩に変貌する。ベッドに横たわり、正気を失った目でなされるがままに下の世話をされながら、唐突にボソリとつぶやいた言葉だそうである。その意味も心情も測りかねるものの、ちょっとつつけば血が噴き出してきそうなほどの生々しさに満ちている。

目から草が生えても人生ってもんだろ

どういう文脈で登場したくだりなのだろうか。文脈などないのかもしれない。とにかくイメージ喚起力が凄まじいフレーズだ。この短い言葉一つから壮大な物語がいくつも作れそうだ。 

力士が!力士が、なぜどこまで力士がやってくる

 思わず噴き出さないではいられない。それはこっちが訊きたいよと突っ込みたくなる。

いつだって7人か9人の殺し屋が狙ったまま
窓の向こうで御無沙汰地獄してるんです

自分が命を狙われているという意味だとはわかるが、「御無沙汰地獄」がおどろおどろしいまでの破壊力を持っている。 

あんた、ちょっと来てごらん
あんな娘のアゲハ蝶が飛びながら
ドンドン燃えているじゃないか

 地獄か煉獄か、はたまた世界の終末か。黙示録的な風景が描き出される。むごたらしさの裏に、なんとも言えない美しさがあるのはなぜだろう。

詩というものが、日常の言葉と非日常の言葉を結びつけ、それによって新たな世界を作るものだとすれば、詩句の創造には、こういった日常を既に脱した人々によってなされるのがふさわしいのかもしれない。筆者も同じようなことを言っている。しかし完全に此の世(日常的世界)の要素を失ってしまっては、このように心をえぐるような詩句にはならない。日常と写し重ねになった異世界、あるいは地獄の風景こそが私たちの心を撃つのだから。

 

 

 

痴呆系―素晴らしき痴呆老人の世界

痴呆系―素晴らしき痴呆老人の世界