回転寿司を考える~廻っている寿司はどこへいくのか~
回転寿司を食べてきた。
最近の客は自分を含めて廻っている寿司を食べない。自分の食べたい寿司をオーダーして、来たものを食べたほうが作りたてでおいしいから。だから廻っている寿司は手をつけられることのないまま乾いて古くなっていく。
それらは客の間をまんべんなく巡りながら、ほとんど取られる望みなくまた厨房に戻っていく。その行方はどうなっているのか。
スシローのお店にはこんなポスター。
「皿の下に取り付けられたICタグで鮮度を管理。350メートル以上廻った寿司ネタは自動で廃棄するシステムを採用」
http://www.akindo-sushiro.co.jp/quality/promise/index.html#promiseCont03
回転寿司の廻るスピードは平均して秒速4cm。350メートル廻るのにかかる時間は約145分。廻り始めて2時間25分経ったら自動で廃棄になる。
これは早いだろうか。遅いだろうか。2時間半も経ったら寿司もかぴかぴになるのは当たり前だろうし、そんな寿司はたとえ安くても食べたくない。
反面、世界的乱獲によって漁獲高が激減している現在、貴重な魚が毎日大量に回転寿司店で自動廃棄されているかと思うと悲しくなってしまう。
↑ニュースサイトGIGAZONEより
日本もアメリカを上回る食料廃棄率を誇る。
日本は食糧自給率が40パーセントちょいしかない。
自分の国で食べる分も供給しきれておらず、輸入に頼っているにも関わらず、せっかく遠い外国から買ってきてまで用意した食品の3分の1を捨てているのです。
その原因はなんだろうといろいろ考えていたら、何日か前に見たテレビ番組がふっとフラッシュバックしました。
その番組は「マツコ&有吉の怒り新党」
「ご飯がまずい食べ物屋」について、口角泡を飛ばして力説していたマツコさんは、「ご飯が古くてかぴかぴになっていたり、炊くの失敗してべちゃべちゃになっていたりする店は炊きなおせ」というようなことを言っていました。
そうか、この「お客様は神様意識」が日本の食糧廃棄率の原因のひとつだろう。
思えば私も、とんかつレストランでアルバイトをしていたときに、古くなったご飯を廃棄していました。どんなにたくさん余っていたとしても、時間が経ったら廃棄しなければならないのです。勿体無かったので店長にお願いしてこっそり持ち帰って家族で食べたりしていました。
ご飯は、炊き時間が決まっているので急いで用意するとかができない料理なんです。だから、ある程度余裕をもって用意しておかなればならない。結果として多少余ることも出て来ます。
では自分がレストランで食事しているときに黄色くなったふるいご飯を出されておいしく食べられるか、といったら難しいところです。しかし、日本全国どんなところに入っても、新鮮でおいしい食べ物がいつでも食べられる、というのはあまりにも便利すぎる。
こんなできすぎなシステムはどこかで無理矢理成立させているように思えるのです。
回転寿司も、やっぱり鮮度が命でしょう。それが売りですから。けれども、あれだけテーブルの間を廻っている寿司たちがいながら、自分の口に入る寿司にはより新しいものを要求するなんて虫が良すぎるんじゃないだろうか。と罪の意識に駆られてしまいました。
いっそ廻っている皿には食品サンプルを乗っけて、見本にしてしまえばいい。どうせ、現状廻っている寿司はそういう当て馬的な役割しかないのだろうから。