「遊びながら学ぶ人のからだカード」を買って親子で遊んでみた
カード遊びに興じながら自然と人体の仕組みが学べてしまう
「親勉アカデミー」という協会が出しているカード。
紙のカードが60枚ちょいのセットで2000円。はっきり言って高い。
果たしてそんなに楽しく遊んで学べてしまうのだろうかと半信半疑ながら購入してしまいました。中身のカードはこんな感じ。
5枚1セットで人体が手軽に作れます。
・骨格
・血管
・筋肉
・内臓
それぞれのレベルで「全部見え」バージョンと「一部見え」バージョンがあり、正しいグループで並べないとちゃんとした人体になりません。それでも、グループごとに色分けされているので4歳児でもかんたんに並べることが可能。
難しい器官の名前は全てふりがながふってあり、ひらがなが読める子供なら自分で骨の名前とか内臓の名前とかを覚えられるでしょう。
上の写真のように、「並べる」意外にも幾つかの遊び方が存在。
「めくったカードの部位をタッチして名前をいう」というゲームもあり、うちの子供は随分とはまっていましたが、内臓や骨の位置を自分の体で覚えられそうです。
ルール
「教えようとしないこと」がこのカードゲームのルール。
お勉強の要素が入っていると、つい教えたくなっちゃいますが、そこは力をゆるっと抜いて親も「遊びモード」にならなきゃいけません。
子供と一緒に楽しむことがこのカードの「絶対ルール」のようです。
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「横浜駅SF」-地元愛と都市伝説愛、そして終末的世界愛-
あまりにも地元すぎるタイトルで久しぶりにジャケ買いしてしまった「横浜駅SF」。
なにやら人気沸騰中とのことで、特設サイトには重版の文字が踊ります。
筆者のイスカリオテの湯葉さんがこういうツィートをしたことがストーリー発生のきっかけだということ。
横浜駅は「完成しない」のではなく「絶え間ない生成と分解を続ける定常状態こそが横浜駅の完成形であり、つまり横浜駅はひとつの生命体である」と何度言ったら
— 柞刈湯葉(イスカリオテの湯葉) (@yubais) 2015年1月4日
確かに。横浜生まれ横浜育ち、横浜在住の自分にしても、工事中以外の横浜駅を見たことがないです。
これを「工事が遅い」と見ずに、常に変遷し続ける一種の生物のような存在と捉えれば、ものすごく合点がいく話ではあります。つまりこのツィートならびに小説のコンセプトは、横浜駅の「工事中」を見続けてきた地元住民にとって、思わず口元を斜めにしないではいられないような絶妙変化球であるのです。
あるとき突如自己増殖を始めた横浜駅は、周囲を取り込みながら膨張。ついに本州のほぼ全土を覆い尽くした。
本州人のほとんどはその巨大すぎる「エキナカ」で生活しており、体内に「suica」を埋め込まれて管理されている。
九州と北海道はそれぞれ海峡を隔てて横浜駅と対峙して終わりのない防衛戦を戦い、無政府状態と化した四国は、緩慢な侵略にさらされている。
そういう諸々の奇抜な設定こそがこの作品を際立たせている特徴であり、それだけで他はイマイチ、などという声も聞かれるけれど、これだけの大風呂敷を広げながらも一冊にまとめあげてしまうのだから、多少のご都合主義は仕方ないのではないか。必要な伏線は全て回収しきり、ラストはまずまずの読後感と言えます。
「横浜駅SF」の世界観は、この一冊だけで終わらせてしまうにはあまりに勿体無く、続編や別メディア、別作者によるエピソード発表など、多様な活用が望まれます。
と、話は逸れましたが、作品の真の主役たる「横浜駅」についてもう少し。
「絶え間ない自己増殖と膨張」とあるように、横浜駅には人間的な意志がなく、ごく単純な「本能」に従って成長する生物のように描かれています。
たとえばエキナカ世界では、様々な施設がひとりでに「生えて」きます。
そこらへんのメカニズムがどうなっているかは作品を手にとっていただきたいのですが、要は人間の意図によらず自律的に成長し続ける横浜駅自体には知性らしさはなく、一個の巨大な単細胞生物のような存在として描かれているということです。
高度なテクノロジーの集積でありながら、そのふるまいはむしろ原始的な生物のようであり、その辺りの対比的な構成に一種の皮肉を感じます。
ヒトの知性の行き着くところ、結局は回りまわって原初の海に戻るだけ、というような。
これまでにも、「人工的知性によって人類が制圧された世界」を描いた作品は数多く存在します。その多くは海外の作品ですが、例を挙げると、
・ターミネーターシリーズ・・・人工知能「スカイネット」が暴走。人類を絶滅させるため、「審判の日」を発動し、核攻撃を行う。機械に対する人類の絶望的な戦いの世界を描いた。
・マトリックスシリーズ・・・最終戦争によって日光を遮られ、光を失った世界で人工知能が下した選択は、「人間の栽培」だった。人体を行き交う微弱な電流をエネルギー源として利用、同時に人間の意識を人工的な仮想世界「マトリックス」に閉じ込め、機械が人間全てを管理しているという世界。
・ギャラクティカシリーズ・・・「サイロン」と呼ばれるロボット軍団によって人類の母星が破壊され、残されたわずかな人々の絶望的な逃亡戦が描かれる。
これらの作品の世界観と「横浜駅SF」が完全に異なっているのは、機械と人間が必ずしも対立構造ではないことです。海外産の人工知能ものがすべからく人間に敵対的であるのに対し、「横浜駅」は、知性のない、意思のない生命体的存在として、「エキナカ」で暮らす全ての人々を包摂している。それはむしろ「守っている」ようでもあり、その在り様には母性さえ感じてしまうのです。
「東洋と西洋の自然観の相違」とかで説明しようとすると、入試問題みたいになってしまうのでこれ以上はやめときますが、こういった対比を浮き立たせていくと、来たるシンギュラリティに対する見方の違いが分かっていいなぁと。
おまけ
その他の終末的世界を描いた作品群
横浜かぶりですが、話の方向性は全く違います。
「ウール 」シリーズ
格差社会に立ち向かう最後の砦は、「先生」である
格差社会の壁を打ち破る可能性は「教育」にあり、教育の格差を埋めることができるのは「教員」の力であるというお話です。
格差社会、知識社会
すでにあらゆる場面で言われているように、世の中の格差は拡大しています。
トマ・ピケティは「21世紀の資本」で、資本収益率が成長率を上回るとしてその理論的な根拠を固めました。
彼の本によれば、社会の経済的な格差を表す値は、20世紀の初頭で高止まりを続け、その後両大戦期を通じて下がり、80年代ごろより再び上昇に転じたとあります。
↑トマ・ピケティ「21世紀の資本」画像クリックでアマゾンのページに飛びます
20世紀初頭の社会は、貧しい労働者がどんなに頑張っても決して埋めることのできない格差が存在したといいます。
これからの社会もそうなっていくのでしょうか。
以前の格差社会の構造と現代のそれとのもっとも大きな違いは、格差をもたらす大きな要因の1つが「情報と知識」であることです。
より多くの有益な情報を早く手に入れた者が最大の利益をあげることができる、これは現代社会の特徴ではないでしょうか。これは何も、投資や事業などの大きな話だけでなく、例えばスマホを買うなどという身近な行動についても言えることです。複雑怪奇なキャリア各社の料金プランを比較対照し、どれが自分にとって得なのかを選び出す作業は、高度な情報収集力、分析力を必要とします。それがない人は、キャリア販売店の窓口で「カモ」にされ、不必要なオプションプラン山盛りのバカ高い料金を請求されることになります。
しかし逆に、情報や知識に対する正しい運用法さえ身についていれば、それらを活用して生活を変えることができるのも現代の特徴です。これは何もネットで億万長者になるとか、そういう一握りの天才のことを言っているのではなく、知識や情報を扱う能力の全体的な底上げを図ることで、結果として格差を縮めることができるということです。単純化しすぎかもしれませんが、スマホの契約で月1000円の余計な出費を強いられている人々が、それに気づいて解約することさえできれば、1000円分の可処分所得を手に入れるに等しく、その分の格差が縮まるということです。
教育の力と問題点
前述のような「情報・知識」を扱う能力は、もちろん教育によって身につくものです。スキルは、一度身についてしまえば減ることはありません。それを使って何度でも、無限に自分の生活をより良いものにするチャレンジを行うことができます。
しかし一方で、教育の世界においても様々な格差が存在します。
日本の子供の貧困率は先進国の中でも高く、特に母子家庭でそれが顕著だと言われます。母親の収入が十分でなく、家族の生活を支えるためにいくつもの仕事を掛け持ちせざるを得ず、結果、子供の教育にかけられるお金も時間もないということになってしまう。以前の記事で、「幼児教育の重要性」について書きました。
幼児教育といっても、なにもピアノやら英語やらの習い事のことだけでなく、むしろ自制すること、やり抜くことを、生活の中で身につけていくことが重要だと述べました。それらはお金をかけることでも得られるでしょうが、幼児期においては家庭での保護者の役割が大きい。しかし、生活のためにかつかつの家庭では、そのどちらも与えることができない。親が外で仕事に身をすり減らしている間に、家では子供がテレビを見続けるだけの生活で、大切な心身の成長の機会が奪われていってしまう。
そういう様々な環境要因があって、必要な教育を受けられない子供が増えています。そういう子が成長し、収入の少ない仕事にしか就けない、あるいは望まない妊娠をして、母子家庭になることを余儀なくされると、当然ながら、今度は自分の子供の教育に十分な投資ができない。このように、教育の不足と貧困はいつしか「負のスパイラル」となり、格差が固定していってしまうのです。
最後の砦は「先生」である
「学力の経済学」では、このように書かれています。
遺伝や家庭の資源など、子ども自身にどうしようもないような問題を解決できるポテンシャルを持つのは、「教員」だということです。
私は、この一節を読んだ時、思わず体が震える思いがしました。教育の世界の片隅に身を置く者として、それだけの責任を果たせるのだ、ということに、なんとなく粛とした思いを抱いたものです。
「良い先生」と出会い、教えを受けることは、その子の人生を変える力があり、それを統計学的に裏付けた研究が、やはりアメリカにありました。
アメリカでは、教員ひとりひとりの」付加価値」がすべてウェブ上で公開されているそうです。「付加価値」とは、担当した生徒のテストのスコアをどれだけ伸ばせたか、それを総計した値のことです。これは日本ではあり得ない話ですね。先生たちにしても、自分の「通知表」がネットに全部でてしまうのですから、ひと時も気を抜けないでしょう。
ともあれ、こうして得られたデータから、様々な研究がなされました。その中で、教育の「付加価値」によって、担当した生徒のその後の人生がどう変わるのかを調べたものがあり、その結果は驚くべき者です。
本書いわく、
付加価値が教育の質の因果関係をとらえるのに、極めてバイアスの少ない方法であることを明らかにしました。
と述べ、そして
質の高い教員は、ただ単に子どもの学力を上昇させているということにとどまらず、10代で望まない妊娠をする確率を下げ、大学進学率を高め、将来の収入も高めているということも明らかにしました。
と述べています。さらに、
付加価値でみたときに下位5%に位置する教員を、平均的な教員に置き換えるだけで、子どもの生涯収入の現在価値を、学級あたり2500万円も上昇させることができると推計しています。
と続けています。アメリカのひとクラスの人数は、州や学年によっても違いますが、概ね15〜22人です。ですから、生涯収入で一人当たり100万円程度ということなので、もちろん個人の立場で見れば大した違いはないかもしれません。
しかしそういった問題はさておき、教員の質が高ければ、子どもが背負わされた遺伝や環境のビハインドをはねのけ、自分の人生をより良いものにしていけるチャンスを与えられる可能性があることは確かでしょう。
我が子に生きる力を
さてここからは、子供を持つ親として書きたいと思います。
これまでの話を前提とすれば、もちろん「良い先生」にめぐり合わせてやりたい。しかし、私学に進学することを除けば、それは親の意志ではどうにもならないことでしょう。先生は人間ですから、それぞれに差があるのは当然のですし、教員の配置は自治体の政策によって決まるのですから。
唯一方法があるとすれば、「良い先生」が増えていくような政策を支持するということがあり得ます。
教員という職がもっと魅力的なものとなり、多くの能力とやる気のある人が先生を目指すような社会になれば、付加価値の高い教員が増え、結果として我が子を受け持ってくれる確率も高まるでしょう。
今の先生方は大変です。どんなに能力が高くても、様々な仕事を抱えて身動きが取れない状態にある方も多い。
そういった問題に光を当て、解決していくことが、格差社会に対抗できる唯一の方法なのではないかと思います。
↑「学力」の経済学 中室牧子著 画像クリックでアマゾンのページに飛びます
怖がり3歳児のおむつはずし顛末記
現在3歳半の息子。トイレトレーニングを始めて、およそ完了したと言える期間のことを後のために記録しておきたいと思います。
トレーニング開始まで
実際にトイレトレーニングを始めたのは3歳になった今年8月です。ずいぶん遅いように思いますが、オムツの性能が劇的に向上している昨今、子供も親もそういう便利な物を捨て去るのには割と大変な決意とエネルギーが必要なのです。
とは言え、とりあえず「補助便座」は割と早い時期に購入してスタンバイだけはしていました。 買ったのは一歳半ごろのことだったでしょうか。
↑購入した補助便座。シンプルながら必要な機能は全て揃っています。男の子はオシッコが前に飛ばないようにするためのガードが必須。画像クリックでアマゾンのページに飛びます。
コイツを便座にセットして、「さあトイレ行ってみようか」という試みを何回かやってはみたのですが、なかなか怖がって座ろうとしません。
ベネッセのトイレトレーニンググッズ(こどもちゃれんじの付録、音楽が流れたりするやつ)も、それ自体は面白がって遊びますが、「トイレに座る」動機付けにはならず。そのままなんとなく2歳を過ぎ、決め手に欠けたまま3歳を迎えた次第です。
恐怖心の克服のためのおまる購入
周りの先輩パパママからは、「うちも幼稚園入っても毎日オムツだったよ」とか、「昔と違うんだから自分のペースでやれば良いんだよ」というようなアドバイスを貰っていたのですが、それでも気になることは気になる。まだ少しずつでもトイレに対する関心が高まっているような兆候があれば良いんですが、2歳の1年間は全く進歩なしの状態。
そんな中、前述の補助便座をリビングに持って来ると、きゃっきゃ言いながらまたがって「トイレごっこ」的な動きをしている姿を見るようになります。
そうか、トイレという空間でなければまたがれるんだ、と気づきました。
要は、オムツからトイレというのは、環境の変化が余りにも多過ぎて対応しきれないんですね。
- いつでもどこでも→トイレという狭い空間
- オムツをはいたまま→脱いだ状態で
- 立ったまま→またがって
という3つの変化要因を全部いっぺんにやろうとするから、子供が混乱して恐怖心を持ってしまう。だから、これを1つ1つクリアするようにしてやれば良いのでは、という方針が立ちます。
「困難は分割せよ」「高過ぎる目標はスモールステップで克服」の発想ですね。こんなところにも先人の知恵が活かされるわけだ。
そこで、まずはトイレという環境要因を排除し、慣れ親しんだ環境でできるようにするため、おまるを導入することにします。少しでも楽しい雰囲気を出すため、奮発してアンパンマンのギミックがついた高機能おまるをチョイス。早速アマゾンでポチりました。
↑が購入したおまる。アンパンマンのハンドルから何種類かの音楽や声、水を流す音が流れるほか、組み換えてステップや補助便座としても使える商品です。
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おまる導入時
おまるが届き早速開封すると、アンパンマンの姿が見えたこともあって子供も興味深々。
とりあえずリビングにでんと置いて子供の動きを観察。
とりあえず楽しそうにまたがって遊んでいたので、頃合いを見計らって話しかけてみます。
「このアンパンマンに乗ってうんちとかオシッコとかするんだよ。やってみる?」
ちょっととまどいは見せたものの、うん、とうなづいたので、これはうまくすれば行けるかも、と思い慎重に。
ここ(リビング)でオムツを脱ぐのは恥ずかしいか、と聞いてみますと、「恥ずかしい」との返事。3歳児にも羞恥心はあるんですね。
おまるの周りをニトリのついたてで囲い、子供に見せたところ、これならいいということで安心したのか素直にズボンとオムツを脱がすことができ、そのまままたがってくれました。まだおっかなびっくりなのか、ちょっと腰が引けていて、手は母親の腕につかまったまま。その状態で1時間近くああだこうだしていると、
「でる。」
と言って用足し完了。
↓ニトリのついたて
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始めこそかなりの時間がかかりましたが、その後は徐々にまたがる時間が短くなり、スムーズに用足しできるようになっていきました。
ちなみに、おまるの汚れ、ニオイ対策には「おまるシート」がオススメです。
ちょっと単価が高く、コスパ的にきついですが、これを使うとニオイが広がらず、おまるにニオイが付くこともないので、リビングで使うことができます。ビニール袋で代用可能と言う人がいますが、それだとかなり手間がかかるんじゃないかと。
おまるその後
おまるに慣れたあとは、トイレに移行するのもスムーズでした。前述の「おまるシート」を1パック使いきらないうちに、もうおまるは不要に。およそ半月のことだったと思います。
その後は「アンパンマンおまる」は踏み台としてトイレに設置。ずっと使われなかった補助便座が本格的に稼働しています。
まとめ
うちの子どもの場合、オムツからトイレに移行する間に一つステップが必要だったということでした。トイレトレーニングで行き詰まっていたら、「おまる向き」の子かどうか一度検討してみてはいかがでしょうか。
「学力」の経済学 幼児の教育は生涯で最も効果的である
「学力」の経済学はどんな本か
「経済学」と名前はついていますが、この本の内容は教育にかけるお金の話ではありません。
これまで「効果がある」とされていた教育法や指導法は、それに携わった人の「経験」によって根拠づけられてきました。「自分のクラスではこういう風に指導した。そうしたらこういう良い結果が出た。だから自分の教育法には効果がある。よって、全国でやるべきだ」、という具合に。
ところが、教育という分野は困ったことに、「一億総評論家」になってしまうのです。教育を受けずに大人になった人は、おそらく今の日本にはほとんどいないでしょう。だれもが自分の経験を持ち、成功した人はほとんど、自分の成功体験を正しいと信じています。
しかし、ちょっと考えてみれば分かるように、個人の成功事例が全ての人に適しているはずがありません。学び方、伸び方は人それぞれです。
こういう、根拠のない「成功体験崇拝」が今の日本の教育にはまかり通っている、と筆者は言います。教育学は他の学問と同様、科学的に実証されるべきだし、実験によって根拠づけられるべきだ、と主張します。教育は人間を扱うのだから、物理や化学のように実験で確かめられるはずはない、という批判もあるでしょう。しかしながら、欧米では統計的手法を用いた社会科学的実験方法が次々と考案され、効果の確かさが実証されてきています。この本は、そういう「実験によって教育法の効果を確かめる」本です。ですから、子を持つ親に向けてという内容だけでなく、教育関係者に宛てた内容も多く見られます。
この記事では、特に幼児教育の効果や実践論について、私たち幼児の親が読んで役に立ちそうなところを中心に紹介したいと思います。
教育への投資はいつが最適か
多くの人は、子供が大きくなればなるほど教育にお金をかけるべきだと思っています。幼児よりも小学生、高校生よりも大学生、という具合に。もちろんこれは、日本の学校システムによる制約があって仕方なくそうなっているという面も否定できません。幼稚園、保育園は公立に入れない場合も多く、私立に入れたらそれなりに高いですし、大学の学費は一家の生涯計画をも左右する甚大な影響力を持っています。
そういういかんともし難い制約はさておき、例えば3歳児の英語教室より大学生の留学のほうが、「より直接に将来の収入に影響する」という意見ならば、きっと多くの人が頷くと思うんです。しかし、ある実験がその思い込みを覆しました。年齢が高くなればなるほど、教育への投資は効率が悪くなる。つまり、かけたお金に対する生涯年収への率は低くなるというのです。
ペリー幼稚園プログラム
1960年代から開始されたシカゴ大のヘックマン教授らによって開始された「ペリー幼稚園プログラム」は、幼児教育分野に確かな成果をもたらしました。
実験内容はこうです。
- 低所得のアフリカ系家庭の3歳〜4歳の子供を対象として、質の高い就学前教育を提供する。
- 同じような環境で育つ子供をランダムに2つに分け、片方には教育を提供し(処置群)、片方には与えない(対照群)。
- 在学中だけでなく、卒業後、さらにその後まで長期間観察し、処置群と対照群の人生にどのような違いがおこるかを検証する(追跡調査は、6歳、19歳、27歳、40歳の時に行われている)
40歳まで追跡するというのは、ものすごい苦労だったでしょうね。
さて、結果はどうだったかというと、プログラムを受けた子供達は、受けなかった子供達達に比べて、
6歳時点のIQ、19歳時点の留年率、27歳時点の持ち家率、40歳時点の所得など、あらゆる面でポイントが高かったことが分かったのです。
就学前教育に、その後の人生に渡って長く持続する効果があり、しかも、「社会収益率」は年率7〜10%にも登ると言います。社会収益率というのは、投資に対して社会全体でどのくらい利益がもたらされるかを示した数字で、例えば年率10%だとすると、4歳の時に投資した100円が、65歳の時には3万円にもなって社会に還流するそうです。
この、「社会に還流される」という部分がちょっと気になりますが、要は、きちんと学校を出てまともな生活をしてくれれば、もちろん収入もあって消費増大に貢献するでしょうし、犯罪に手を染めたりして刑務所に入ることもなく、それによる経費もかからないということでしょう。
人生に良い影響を与え続ける幼児教育は、勉強ではない
先ほどのペリー幼稚園プログラムで、6歳時点のIQについて書きました。しかし、実はこのIQの差は年を経るに従って縮んでいき、8歳前後には教育を受けなかった子供と大して変わらない数値になってしまったそうです。
特に勉強などの認知能力では、幼児教育の効果は限定的と言えるのでしょうか。
では、一体なにがその後の持ち家率や所得に影響したのでしょうか。
本書によれば、それは「忍耐力」や「やり抜く力」などの「非認知能力」だと言います。
たとえば、子供の目の前にマシュマロを置き、「いつ食べてもいいけど、大人が戻ってくるまで我慢できたらもう1つあげるよ」と言って部屋を出、子供が先々のために自制できるかを見るテストでは、我慢できた子供のほうがSAT(アメリカの大学入学資格を判定するテスト)のスコアが良かったそうです。
将来のために意志を継続できる力を入れというのは、かなりダイレクトにその後の人生に関わってくるのでしょう。
「やりぬく力」(GRIT)も、同じく成功をもたらす重要な力として注目を集めています。
まとめ
このように、幼児期の教育は大変重要です。かつ、それは勉強そのものではなく、生活全般を通して養われる自制心、やりぬく力であることが分かります。
これらは、お金をかけることもできるでしょうが、むしろ家庭での過ごし方が大切なんだろうなあと改めて実感するのですが、いざ我が家の現状を思い起こすと先が思いやられる思いをひしひしと感じてしまうのであります。
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ピタゴラスとマグフォーマーをいろいろ比較してみた ー子どもと遊んで賢くなれる磁石ブロックおもちゃー
以前投稿した記事で、「マグフォーマー」について書きました。
この手の磁石でくっつくプレート式のおもちゃは、「マグフォーマー」の他に「ピタゴラス」があり、どちらも磁石でくっつく性質は同じなんですが、それぞれちょっとずつ特徴が違います。
ちょっとその辺をもう一度考え直して、どちらを買おうか決めようと思います。
ピタゴラスとマグフォーマー比較
ピタゴラス | マグフォーマー | |
プレートの種類 |
正三角形、正方形(大きさ2種)が基本 セットによって特殊なパーツがある 小学生以上は透明なクリアパーツ |
正三角形、正方形(大きさ1種)が基本 五角形が特徴的
|
プレートの大きさ | 大きめ | 小さめ |
プレートの角 | 直角 | 丸みを帯びている |
プレートの形 | 基本的に穴のない「面」 | 穴の空いた「枠」 |
磁力 | 弱め(高精度異方性磁石) | 強め(ネオジム磁石) |
人気セット |
ひらめきのプレート・1歳から・64パーツ ドア型や目玉型などの特殊なパーツつき ¥12,000前後:1パーツ=¥187.5 |
マグフォーマー62ピース 三角形20個、四角形30個、五角形12個 ¥7,800前後:1パーツ=¥120 |
標準セット |
ピタゴラス算数・3歳から・28パーツ 三角定規型パーツ2種類、3D体感ドリルシートつき ¥5,400前後:1パーツ=¥192.7 1・2年生の小学生ピタゴラス・20パーツ(全クリアパーツ) 大きさの違う2種類の長方形パーツ付き ¥3,700前後:1パーツ=¥185 3・4年生の小学生ピタゴラス・22パーツ(全クリアパーツ) 専用タイヤ、磁石エンジンつき ¥3,700前後:1パーツ=¥168 5・6年生の小学生ピタゴラス・21パーツ(全クリアパーツ) 五角形、菱形などの多角形パーツ付き ¥3,700前後:1パーツ=¥176 |
ベーシックセット30ピース 三角形12個、四角形18個 ¥5,000前後:1パーツ=¥167 クリエイティブセット90ピース 三角形12個、四角形20個、五角形2個ほか、菱形、台形、二等辺三角形、おうぎ形など多種類 ¥18,000前後:1パーツ=¥200 乗り物セット16ピース 三角形8個、四角形5個、タイヤパーツ2個、その他1個 ¥3,900前後:1パーツ=¥244 ダイナソーセット40ピース 三角形10個、四角形10個、クリエイティブセットの縮小版 ¥7,800前後:1パーツ=¥195 |
※マグフォーマーは、日本正規版が品薄のためか、値動きが激しいです。
正規販売店の「ボーネルンド」社のHP記載の値段と比べて高い時は購入を見送るか、海外のアマゾン等で個人輸入する方法をお勧めします。
⤵︎「マグフォーマー」正規販売店ホームページ
遊び方
ピタゴラス
角が直角なため、積み上げる遊びに適しています。そのため、見立て遊びやごっこ遊びに向いています。一方、磁力が弱めのため、球体などを作ると途中で崩れてしまうこともあるようです。
展開図から立体への変化は、単純な立体ならば可能です。
発展性がある遊びができるため、自由な発想や創造性を養うのに良いおもちゃだとおもいました。他の方のブログにもあるように、年齢が上がっても末長く遊べるようです。
『ピタゴラス』は、中受勉強でも使えるコスパ最高の知育玩具! | すたろぐ
マグフォーマー
角が丸いため、積み上げる遊びに適さないようです。 全てのプレートが面ではなく「枠」のため、幼児のおぼつかない手でも持ちやすいですが、一方で磁力が強すぎて扱いづらい面もありそう。展開図から立体へ一瞬で変化するところは圧巻。どうやって立体が作られるかの理解に役立つでしょう。
一緒には遊べない
この2商品は、中に入っている磁石の仕組みが違うため、一緒に組み合わせて遊ぶことが出来ません。
どちらも、向きを変えても反発しない特殊な仕組みを採用しているのですが、
「ピタゴラス」は細かい磁石を交互に逆向きに並べることで、それ自体が反発しないような磁石を作り、「マグフォーマー」は磁石自体が回転することで実現しているようです。
この2商品以外にも、いくつか類似商品がありますが、それぞれ互換性が異なるので注意が必要です。
マグプレイヤー、マグスペース、ネオフォーマーなどは、それぞれマグフォーマーの類似品です。いずれも互換性がありそうで、マグフォーマーと組み合わせても遊べるようです。(未確認)
SF界鬼才の問題作「高い城の男」amazonプライムビデオでドラマ化
ディックの代表作がプライムビデオに登場
フィリップ・K・ディックの代表作「高い城の男」が、なんといつの間にamazonオリジナルブランドでプライムビデオに登場していました。しかも監督はリドリー・スコット。
(画像クリックでamazonプライムビデオのページに飛びます)
主演のアレクサ・ダヴァロスはフランス系のモデルさん出身で硬質な感じの美人。
こういうハードなストーリーには顎がしっかりした顔がよく合います。
たまたま検索してヒットしたんでもうびっくり。レビューによれば、製作発表は1年も前らしいのですが、そんな情報にはとんとお目にかかっていませんでした。情弱ですね。
あの、SFとも神話ともつかないブランドで不可思議の塊のようなストーリーをどうやって映像化するのでしょうか。
幸いにもamazonプライム会員だったため、(この時ほどプライム会員だったことを感謝したことはありません。)早速ダウンロードして、今第2話まで見たところです。
原作とのいい意味での相違
やっぱりというか、むしろ歓迎なんですが、原作通りではありません。
原作は心理描写と文脈の見せ方の巧妙さで描き出していた世界ですから、それをそのまま映像化したら、かなり間延びした感じになってしまっていることでしょう。
第二次大戦でドイツと日本が勝利しているという、いわばパラレルワールドを舞台にした物語です。
アメリカ合衆国は、「大ナチス帝国(Greater Nazi Reich)」と「日本太平洋合衆国(Japanese Pacific States)」に占領、分割統治されています。ちょうど今の朝鮮半島のように、ロッキー山麓の高地を中立地帯としつつ、その両側がそれぞれ別の国になっているのです。
支配下にあるアメリカ人は、支配国の苛烈な統治に屈しつつ、心あるものは自由の国を懐古し、レジスタンスを組織しています。
原作では、ナチス帝国は冷酷苛烈なファシズムの支配する国、日本太平洋合衆国は、支配者ながら東洋的韜晦と寛容さをある程度は持った国として、描き分けられていました。その点ドラマはより分かりやすく、支配者は弾圧者。秘密警察の残虐さと暴力をより強調させたような描き方に変わっています。
主人公格の1人、ジョーはニューヨークでレジスタンスからあるものを中立地帯の街に届ける任務を受け、旅立ちます。
一方西海岸のジョアンナとフランクは、普通の暮らしを送りながら、間接的にのしかかる支配国の圧力を感じています。
この3人が、やがて世界を変える力を持つと言われる映写フィルムを巡って、巨大な陰謀と謎に翻弄されていくというプロットなのです。
原作よりも、かなりスパイものっぽい雰囲気が濃くなってますが、そこはそれ。
映像はこのくらいスリリングじゃないと飽きちゃいますから。
この話の中心かつ核心に位置付けられているのが、さっきも出てきた映写フィルムです。タイトルを「イナゴ身重く横たわる」といい、原作ではフィルムではなく本でした。この辺り、粋な改変と言いますか、上手いなぁと思いました。本を読んでる姿なんて画にしても面白くないですもんね。
この、「イナゴ身重く横たわる」には、別世界の出来事が描かれています。すなわち、大戦でアメリカとイギリスが勝利した話、つまり今の我々が生きている「この」世界です。映写機に映し出される映像には、私たちが見たことのある歴史的なシーン、すなわち、Dデイの戦闘だとか、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの会談シーンだとかが次々と現れてきます。
私たちには既存の歴史でも、彼ら作中人物にとってはパラレルワールドです。
作り話だとも思えるし、映像が撮られているのだから真実なのだと信じたくもなる。実際、両帝国に分割統治されてしまっているアメリカ市民にしてみれば、この映像こそが真実だと思いたくもなるものです。これ、上にも書きましたが、原作では本でした。だから、「真実だ」と人々を信じさせる根拠がさほど強くなく、したがって物語も、「世界を変える」的な流れにはなりそうもありませんでした。
けれどドラマでは「映像」ですから、その説得力は活字媒体の比ではないはず。だとすると、結末は原作と全く違うものになるのでは、という予想も立ちます。
そのあたり、原作の救いようのなさが好きな人には幻滅なんでしょうけど、自分としてはもうちょっとハッピーエンドでもいいとは思います。
まだ2話を見たばかり。第1シーズン完了まであと8話あるので、じっくり見ていきたいと思います。
↑は原作本のアマゾンリンク。こちらもお勧め