空論オンザデスク

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近衛秀麿のドキュメンタリーを見て 〜歴史とはタペストリーではない〜

NHK BS1ドキュメンタリー「近衛秀麿 戦火のマエストロ」を見て。

www.nhk.or.jp

 

近衛家

近衛家、といえば藤原氏の一族の中で最も天皇に近い、まさに貴族中の貴族。セレブ中のセレブである。そんなところのお坊ちゃんなのに、悠々自適左うちわで一生遊ぼうと思ったら遊べてしまう境遇なのに、この人の人生は誠意にあふれている。いや、恐れ入りました。一千年の日本史を作ってきた一族はやっぱり伊達ではなかった。

藤原氏の中でも、最も格式の高い五つの家を五摂家といい、近衛、一条、二条、九条、鷹司家がそれ。その中でも最も天皇家と近いとされているのが近衛家だという。

実際に、兄・文麿は政治家の道を選び、首相を三度勤めた。第一次近衛内閣のとき、昭和恐慌のさなかで国内は騒然とし、満州事変が起こってしまう。文麿はその後も戦争を避けるべく努力したとされているが、軍部の独走を抑えられずその度に首相を辞した人物である。この、理性的ではありつつも手腕という点では頼りない印象のある貴族政治家を兄に持ち、弟の秀麿は音楽家としてドイツにある。この、時代に翻弄されるべくして定められた運命的な境遇はなんだろう。神様か何かが、日本の歴史の結実たるこの兄弟に、この国の命運の何かを託したかったのかと思えてしまう。

指揮者・近衛秀麿

指揮者としてドイツで成功しつつあった秀麿も、時代が不穏になるにつれ音楽に集中していられる環境ではなくなっていく。日本政治の中枢を担う公爵家の一員で、さらに首相の弟という立場、ナチスドイツは日本と同盟関係にあり、戦争は拡大の一途をたどっている。そんな情勢で政治に関わらずにいられるのは不可能というものだ。

当時、ドイツではユダヤ人迫害が年々進行していき、秀麿の知人の音楽家たちも次第に危機感を募らせていく。アウシュビッツが創設され、容赦のない強制収容が始まるのは後の事ながら、すでに多くの人々が国外脱出を目指していた。しかし、そのためには大きな問題があった。財産の国外持ち出しが厳しく制限され、もし脱出できたとしても外国で無一文から生活しなければならないという困難が待ち受けていた。秀麿は、そんな人々のために外交ルートを通じて密かに財産を海外に送る手助けをしていた。もちろん、外国のVIPだと言っても限度があり、露見すれば命が危ない。

歴史はタペストリーではない

音楽に情熱を注ぎ、音楽家としての道を貫きながら、身を捨てて人々を救い続けた。見返りを求める事はもちろんなかった。歴史は、しかるべき人物、しかるべき因果関係が織りなす秩序だったタペストリーなどではない。あらゆる人がたまたまそこに居合わせたというだけで、大きな責任を担わされることがある。勇気を持って務めを果たした人、重責を負いきれなかった人、それらもまた、偶然と意志の相克によって左右されてきたにすぎない。秀麿のような人物が命を顧みず果たした仕事が、次の世代に受け継がれ、また何かを為そうとする人を生み出すのかもしれない。

 

関連文献

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