【中学受験・高校受験】歴史年号ごろ合わせ(室町・戦国・安土桃山時代編)
1336年(いざさろう、吉野へ去ろう)後醍醐天皇が吉野に南朝を建てる
鎌倉幕府に不満を持った御家人をまとめ、幕府を倒した後醍醐天皇ですが、その後自ら政治の実権をもった「建武の新政」では、武士たちの不満をあつめ支持を失っていきます。そのさなか、兵を集めて立ち上がった足利尊氏に破れ、京を離れて吉野に南朝を建てます。この後、南北朝の争いの時代が始まります。
南朝の力を弱め、北朝に統合してしまい、南北朝争乱を終結させる。
明と勘合貿易を行い、経済力を充実させる。
京の室町に「花の御所」を建て、将軍の本拠地とする。
1428年(農民のイシニハ(意志には)勝てない)正長の土一揆がおこる
室町時代はじめの農民の大一揆です。近江(滋賀県)の馬借という運送業者が、農民たちと協力して徳政(借金の帳消し)を求めて一揆を起こしました。
1467年(人の世むなしい)応仁の乱
8代将軍となった足利義政が跡継ぎとなる将軍を決めず、それに大名同士の争いが重なって京都の街中で争いがおこりました。これが10年あまりも続き、将軍家の権威は失墜、全国で実力がものを言う「下克上」の風潮がたかまり、戦国の世になっていきます。
1485年(石はごろごろ山城の国)山城の国一揆がおこる
1488年(葉っぱが多い加賀の国(上と一緒に覚える))加賀の一向一揆がおこる
乱世となり、農民の一揆もさらに大規模に。山城の国(京都府)では国人という農村在住の武士が一揆の指導者になり、8年間の自治をおこないました。また、加賀の国(石川県)では、浄土真宗・またの名を一向宗の門徒たちが結束して一揆を起こし、信長に滅ぼされるまでのおよそ100年間自治を行いました。
1543年(以後予算がたりない)鉄砲伝来
戦国も深まった時代、ポルトガル船が種子島に漂着して火縄銃を伝えます。この武器が瞬く間に広まり、戦いを一変させました。
1549年(以後よく広まる)キリスト教伝来
鹿児島にイエズス会士、フランシスコ=ザビエルが来て積極的な布教活動を行い、九州を中心にキリスト教徒を増やしました。
1573年(以後情けをかけない安土桃山)室町幕府の滅亡
織田信長が室町将軍、足利義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしました。これ以後を安土桃山時代といいます。
1582年(イチゴパンツの信長)本能寺の変
天下統一まであと一歩のところまで来た信長ですが、家臣の明智光秀に背かれ、本能寺で自害。これ以後、いち早く軍を返した秀吉が山崎の戦いで明智を倒し、信長の後継者として実権を握ります。
1588年(以後は刃物はもてないよ)刀狩令
豊臣秀吉の行ったこととして、刀狩、検地、朝鮮侵略、キリスト教禁止があります。一つは年号を覚えておきましょう。刀狩は、ただ単に武器を取り上げただけでなく、これまで農民が武器を持って勝手に武士になれていた、という流動的な社会を改め、武士は武士、農民は農民という身分を固定化させたという重要な意味があります。
1592年(以後国攻めよう)秀吉の朝鮮侵略
豊臣秀吉の朝鮮侵略は、この年の「文禄の役」と後の「慶長の役」があります。
朝鮮では前者を「壬申倭乱」、後者を「丁酉倭乱」といいます。
1600年(一路オーオー)関が原の戦い
朝鮮侵略が失敗し病気で亡くなった秀吉の後の天下人の地位を争い、東軍、徳川家康と、西軍、石田三成が関が原(岐阜県)で決戦を行いました。家康はこれに勝利し、以後の天下人となります。
1603年(色っぽいおっさん家康)江戸幕府開府