空論オンザデスク

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子育て、親育てを中心としたブログ 教育本、子育て本、鉄道もの、プラレール、トミカ系おもちゃなども。

公園のテントは邪魔だとあえて言わせていただきたい

公園のテントに衝撃を受けたいきさつ

 

人間は人生で3回、公園にお世話になります。

 一つは子供の頃。もう一つは親になって子供を遊ばせる時。もう一つは孫を遊ばせる時。

それぞれの時期は相応に離れているため、久しぶりに公園を訪れた時に、カルチャーショックじみた印象を受けることがあります。

私にとって、それは「テント」でした。

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キャンプ場でも登山でもないのに、なぜ こんなにもテントが群がっているのか。

自分の子供の頃は、テントといえば非日常の証。普段は触れられない大自然の懐に抱かれたときに、唯一の「文明の前線基地」として設置するものでした。

それが、日常バリバリの空間「公園」に大量出没するのはなぜか。

奇異と驚嘆の目で眺めてみるに、どのテントもかなりお手軽な構造をしていることがわかりました。昔のように、苦労して杭を打ち、ロープを張り、数人がかりでシートをああだこうだする必要はなく、ポンとワンタッチで見事に立体的なテントが繰り出せる。

 

「ポップアップテント」が世に現れたのはそれほど過去のことではなさそうです。

 

 

travelers.blog.jp

 

あえてする公園テント反対説

 

公園などという日常的な空間にテントが進出したきっかけとして、ポップアップのような手軽で便利なものが出回ったことは大きかったのでしょう。

確かに、テントの効用は大きいと思います。

子供を遊ばせるにしても、ずっと付き添っているのは疲れるし、どこかで休みたい。

どうせなら、日除けがある場所がいいし、周囲の視線をカットできてある程度の暑さ寒さをしのげるほうがいい。

そんな時はテントがあれば一息つけます。荷物だって置けますし。

 

でも、そこをあえて言わせていただきたい。

公園のど真ん中のスペースをテントで占有されたら、子供が遊ぶ場所がなくなってしまいますと。

例えば上の写真でいうと、テント群は芝生広場の一番いい場所に陣取ってるわけです。

こういうのは、誰かが一つ設置すると、なんとなく「テント張っていい場所」的な空気が一気に高まって、爆発的にテントが広がるものです。花火大会などで時折見るゴミの山みたいなもので、いわゆる「割れ窓理論」というやつです。

psychology-japan.com

 

そうなると、残されるのは斜面や地面のコンディションが悪い場所で、当然ながら遊ぶのにも適していません。公園で子供が走り回って遊ぶのに、テントを避けながら遊ばなきゃいけないというのはどう考えてもおかしいと思うんです。

 

公園テントの功罪

公園というのは、住宅街の小公園から大きな芝生の広場がある都市公園まで千差万別ですが、テント群の進出が著しいのは割と大型の公園の方です。

 

そういう公園は割と遠方からやってくる家族連れが多いので、休日になると混雑が著しく、村と言ってしまえるくらいの大規模なテント群が出現してしまいます。

 

・日差しや風をある程度防ぎ、家族が休め、食事をする場所が確保できる。

・荷物の置き場所が確保できる。

・家族が散り散りになっても集合場所として機能できる。

・親や祖父母のような、あまり動かない人が過ごす場所が確保できる。

 

以上が、公園にテントを持っていく利点でありましょう。

 

けれど、そこは公園です。

季節にもよりますが、広々として気持ちがよく、体を伸ばして運動するのに適した場所です。そんなところでわざわざテントなどに篭らずに、散歩するなり子供と遊ぶなりしたほうが、よほど有意義な過ごし方ではないでしょうか。

 

日本人は得てして内向きで、仲間内だけで完結してしまう傾向があります。「車座集会」というやつで、「ウチ」と「ソト」を峻別し、「ソト」に対して関心を抱きにくい社会です。公園のテントは、まさにそういう日本人の傾向を体現しているように見えるのです。

しかし子供はまだそういう習慣には染まっていません。難民キャンプみたいなテント群に、あまり親しまないでほしいなあとひとしきり思った休日でした。